それは主のための旅行であり、人々に主を伝えに行くのですから、信者でない人に世話をしてもらうわけにはいきません。
しかし世の人は、わたしの弟子だというだけであなたがたを迫害します。わたしをお遣わしになった神を全く知らないからです。
私はお金やぜいたくな衣服をほしいと思ったことなど、ただの一度もありません。
また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。それは、『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエスのことばが、いつも頭にあったからです。」
使徒たちは、神の名のためにはずかしめを受けたことを、むしろ喜びながら、議会をあとにしました。
しかし、エルサレムから逃げ出したクリスチャンたちは、どこへ行っても、神のことばを伝えて歩きました。
彼には、わたしのために、どんなに苦しむことになるかを告げるつもりです。」
このような状況で、私の受ける報酬とはどんなものでしょう。だれにも負担をかけず、自分の権利を少しも主張せずに、福音を宣べ伝えることから来る特別の喜び、これこそ私の報酬なのです。
私がほかのどの教会の場合とも違って、あなたがたにはしなかったことが一つだけあります。それは、負担をかけなかったことです。食べ物や住む場所のことで、何一つ世話をかけませんでした。この不公平については、どうか赦してください。
私たちは、自分のことを宣伝しているのではありません。主であるキリスト・イエスを宣べ伝えているのです。私たちはただ、イエスが私たちのために成し遂げてくださったことを知ったので、あなたがたに仕える者となっただけです。
しかし、それゆえに、神はキリストを高く天に引き上げ、最高の名をお与えになりました。
いま私は、あなたがたのために苦しむことも、私の務めとして喜んでいます。キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの残された部分を担っているからです。
ですから、私たちが協力してもてなすべきです。そうすれば、いっしょに主の働きに参加していることになるのです。
あなたはわたしのために、どんな時もじっと耐え、決してくじけませんでした。