私たちが神を愛することができるのは、神がまず私たちを愛してくださったからなのです。
この女の多くの罪が赦されたからです。そして、わたしを多く愛してくれたからです。少ししか赦されていない者は、少ししか愛さないのです。」
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選んだのです。そして任命しました。だから、あなたがたは行って、いつまでも残るすばらしい実を結びます。また、わたしの名前によって父に求めるものは、何でもいただけるのです。
実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、この世界を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。
しかし、聖霊が生活を支配してくださる時、私たちのうちに、次のような実を結びます。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
神に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する神の愛によって、私たちの罪へのなだめとして、神のひとり子が遣わされました。ここに真の愛があるのです。
もし、「私は神を愛しています」と言いながら、兄弟であるクリスチャンを憎み続ける人がいれば、その人はうそつきです。目の前の兄弟を愛せない人が、どうして、見たこともない神を愛せるでしょう。