言われました。「さあ、シロアムの池に行って洗い落としなさい」〔「シロアム」とは、「遣わされた者」の意味〕。イエスが言われたとおりにすると、どうでしょう。彼は見えるようになって戻って来たではありませんか。
ミツパ地区の区長である、コル・ホゼの子シャルンは、泉の門を修理しました。シャルンは門ができ上がると、屋根をふき、扉、かんぬき、横木を取りつけました。続いて、シロアムの池から王の庭まで、つまりエルサレムのダビデの町から下る石段までの城壁を修理しました。
盲人の目を開き、 身をかがめている人の重荷を取り除かれます。 主は正しい人を愛しておられます。
「人間の口を造ったのはだれか。神であるわたしではないか。人が話せたり話せなかったり、目が見えたり見えなかったり、耳が聞こえたり聞こえなかったりするのは、だれの力によることか。
その時になって、 イスラエルの目は神に向かって大きく開かれ、 民は御声に耳を傾けます。
神が来れば、盲人の目は見えるようになり、 耳の聞こえない者の耳は聞こえるようになります。
盲人の目をあけ、暗い牢獄で 希望もなく座り込んでいる人々を解き放す。
わたしに呼ばれても、 目が見えず、耳が聞こえない者たちを、 わたしのもとに連れ戻せ。
「エルサレムの住民は、 わたしが親身に世話をしたのに見向きもせず、 レツィン王とペカ王が、 助けに来てくれないかと、やっきになっている。
盲人は見えるようになり、足の立たなかった者が今は自分で歩けるようになり、ツァラアトの人が治り、耳の聞こえなかった人も聞こえ、死人が生き返り、そして、貧しい人々が福音を聞いていることなどを。
また、シロアムの塔の下敷きになって、十八人が死にました。彼らのことはどう思いますか。エルサレムで一番罪深い人たちだったのでしょうか。
この方はすべての国を照らす光、 あなたの民イスラエルの光栄です。」
とすれば、父がきよめ分かち、この世にお遣わしになった者が『わたしは神の子だ』と言ったからといって、どうして神を汚すことになるのですか。
しかし、「盲人の目を開けたこの人が、ラザロを生かしておくことはできなかったのかね」と、非難めいて言う人もいました。
その男は答えました。「イエスという方が泥をこねて目に塗り、『シロアムの池に行って、泥を洗い落としなさい』と言われたのさ。それでそのとおりにすると、見えるようになったんだよ。」
するとイエスは言われました。「わたしがこの世に来たのは、心の目の見えない人を見えるようにするため、また、見えると思い込んでいる人に、実は盲目だということをわからせるためなのです。」
人々の目を開き、自分のほんとうの姿に気づかせ、罪を悔い改め、悪魔の暗闇から出て、神の光の中に生きるようにするために。わたしを信じる信仰によって、彼らは罪の赦しを受け、きよくされたすべての人たちと共に、神の相続財産を受けるようになる。』
律法を知っているだけでは、罪の支配からは救い出されません。私たちはそれを守ることもできないし、実際守ってもいないからです。ところが、神は私たちを救うために、別の計画を実行に移されました。すなわち、神のひとり子を、私たちと同じ体を持つ者として〔ただ、私たちのような罪の性質を持たない点では異なりますが〕世にお遣わしになったのです。そして彼を、私たちの罪のためのいけにえとして、私たちをがんじがらめにする罪の支配を打ち破られたのです。
しかし、定めの時が来ると、神様は自分のひとり子を、一人の女から生まれさせ、ユダヤ人として律法の下にお遣わしになりました。