パリサイ人のある者は、「そのイエスという者は、神から遣わされた者ではない。安息日に仕事なんかしたんだから」と断言しました。しかし、「罪人にすぎない普通の人間に、こんな奇跡が行えるだろうか……」と疑問を投げかける者もいます。意見は真っ二つに分かれました。
ふとごらんになると、そこに、片手の不自由な男がいました。ここぞとばかり、パリサイ人たちは、「安息日に病気を治してやっても、おきてに違反しないでしょうか」と尋ねました。それは、イエスがきっと「さしつかえない」と答えるだろうから、そうしたら逮捕しようという計略でした。
ところが、それを見た、あるパリサイ人たちが言いました。「あなたの弟子たちがおきてを破っている。安息日に刈り入れをするなど、もってのほかだ。」
ところが、会堂の責任を持っていた、この地方のユダヤ人指導者は、それが安息日だというので腹を立て、群衆に怒りをぶちまけました。「よりによって安息日に病気を治してもらうなど、もってのほかだ! 仕事のできる日は、一週間に六日もあるのだから、その間に治してもらえばいいのだ。」
この話のことで、ユダヤ人の指導者たちの意見は、また真っ二つに分かれました。
わたしが父のうちにおり、父がわたしのうちにおられる、ただこのことを信じなさい。もし信じられないなら、わたしが行った力ある奇跡を思い出してごらんなさい。そうしたら信じられるでしょう。
わたしがあれほどのわざを行わなかったのなら、彼らは罪に定められることもなかったでしょう。けれども、わたしのわざをはっきり見たにもかかわらず、わたしとわたしの父を憎んだのです。
このガリラヤのカナでの奇跡は、イエスが神の力を公に示された最初のものでした。これを見て弟子たちは、イエスを正真正銘のメシヤと信じたのです。
ユダヤ人の指導者たちはひどく腹を立て、その男を責めました。「安息日に労働するとはけしからん。床を上げて運んだりするのは違反だ!」
しかしわたしには、ヨハネの証言よりも、もっとすぐれた証言があります。それは、わたしの行う奇跡です。これらの奇跡は、父がわたしに託されたもので、父がわたしをお遣わしになったという動かぬ証拠なのです。
ユダヤ人たちは、イエスがいったい何を言っているのかと、あれこれ議論し始めました。「なんてことを言うんだ。自分の体を食べさせるなんて、そんなことができるはずないじゃないか。」
確かに、イエスのことはいろいろと話題になりました。「あの方はすばらしい方だ」とほめる者もいれば、「いや違う。とんだ詐欺師だ」と非難する者もいました。
このように、イエスについての意見はまちまちでした。
指導者たちは、男をもう一度呼び寄せ、きつく言い渡しました。「イエスなどではなく、神をあがめなさい。あいつは悪党だ。」
ところが、町の人たちの意見は真っ二つに分かれました。ユダヤ人の指導者側の意見に賛成する者がいる一方、使徒たちの味方につく者もいました。