だから、『あなたがたは罪が赦されないまま死ぬ』と言ったのです。わたしが神の子、メシヤであることを信じなければ、罪ののろいの下で死ぬしかないからです。」
「わたしは『わたしはある』(「永遠に生ける神、創造者」の意で、イスラエルの神の名。「主」のもともとの意味)という者だ。『「わたしはある」という方から遣わされた』と言えばよい。
しかしわたしを見失う人は、自分をだめにする。 わたしの忠告を退ける人は死を愛しているのだ。」
そのうち、自分こそキリストだと名乗る者が大ぜい現れて、多くの人を惑わすでしょう。
自分こそキリストだと名乗る者が大ぜい現れて、多くの人を惑わすからです。
信じてバプテスマ(洗礼)を受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
イエスはお答えになりました。「だれにもだまされないようにしなさい。『私がキリストだ。今こそ時が来た』と言う者が大ぜい現れるからです。そういう人々を信じてはいけません。
今そのことを話しておきましょう。その時になって、あなたがたがわたしを信じられるように。
この神の子を信じる者は、永遠の滅びを免れます。しかし信じない者は、神のひとり子を信じなかったので、すでにさばかれているのです。
この方は神の御子なのです。この方に救っていただけると信じる者はだれでも、永遠のいのちを得ます。しかし、この方に従わない者は、天国を見ることができないばかりか、神の怒りがその人の上にとどまるのです。」
「わたしがそのメシヤです。」
イエスはまた、こんな話もなさいました。「わたしはもうすぐいなくなります。あなたがたは必死でわたしを捜すでしょうが、結局は、罪が赦されないまま死ぬのです。わたしが行く所へは来られません。」
「あなたはいったい、どういう方なのですか。」「そのことは、いつもはっきり言っていたはずです。
「あなたがたは、わたしを殺してはじめて、わたしがメシヤだったと気づくでしょう。そして、わたしが自分の考えではなく、父から教わったことを話していたとわかるでしょう。
「アブラハムが生まれるずっと前から、わたしはいるのです。これは、まぎれもない事実です。」
この方以外には、だれによっても救われません。天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。」
あなたがたに語りかけてくださる方に聞き従いなさい。イスラエルの民が指導者モーセに従うことを拒んだ時、彼らへのさばきは決定的なものとなりました。まして、天からの神の声を拒むなら、どんなに恐ろしい罰が下ることでしょう。
そうであれば、主イエスご自身の口から語られ、それを聞いた人たちが伝えたこのすばらしい救いの教えを無視したなら、どうして罰を逃れることができるでしょう。