〔イエスは聖霊のことを言われたのです。聖霊は、イエスを信じる人すべてに与えられることになっていましたが、この時はまだ与えられていませんでした。イエスが天にある栄光の座に戻っておられなかったからです。〕
大ぜいの捕虜を率いて、高い所へ上って行かれます。 神の受ける貢ぎ物の中には、 かつての反逆からささげられた物もあります。 神である主は私たちのただ中に住んでくださるのです。
さあ、わたしの言うことを聞きなさい。 あなたに知恵の霊を注ぎ、賢くしよう。
救いの泉から十分に飲める喜びを、 何にたとえたらいいのだろう。」
しかしついには、天から御霊が注がれ、 再び見渡す限りの黄金の穂波が 見られるようになります。
渇いたのどと干上がった地をうるおす水を、 ふんだんに与えよう。 あなたの子どもたちには、 わたしの霊と祝福とを注ごう。
わたしは再び雨を注いだあと、 わたしはあなたがたすべてにわたしの霊を注ぐ。 その時、あなたがたの息子、娘は預言し、 老人は夢を見、若者は幻を見る。
弟子たちは答えました。「バプテスマのヨハネだと言う人もいますし、エリヤだと言う人もいます。また、エレミヤだとか、ほかの預言者の一人だとか言う人もいます。」
イエスについて来た群衆は、「ガリラヤのナザレ出身の預言者イエス様だ」と答えました。
わたしは、父が約束してくださった聖霊をあなたがたに送ります。しかし、聖霊が来て、天からの力で満たしてくださるまでは、都にとどまっていなさい。」
この疑問を、ヨハネはきっぱり否定しました。「私は水でバプテスマを授けているだけだ。しかし、もうすぐ私よりはるかに権威ある方が来られる。その方のしもべとなる価値さえ、私にはない。その方は、聖霊と火でバプテスマをお授けになる。
人々はびっくりし、ことばも出ませんでしたが、次の瞬間、あちこちから神を賛美する声がわき上がりました。「大預言者だ!」「神様のお働きだ! この目で見たぞ!」
「では、いったいだれか。エリヤか。」「いや、違う。」「すると、あの預言者か。」「いや。」
それまでは私も、この方がキリストだとはわかりませんでした。しかし、バプテスマを授けさせるために私を遣わす時、神がこう言われたのです。『もし、聖霊がだれかに下り、その上にとどまるのを見たら、その方こそ、あなたの捜し求めている方、聖霊のバプテスマをお授けになる方である。』
〔この時、弟子たちには、この出来事が預言どおりに起こったこととは思えませんでした。しかし、イエスが天にある栄光の座に帰られたあと、「そういえば、あのことも聖書にあるとおりだった。このことも預言どおりだった」と思い出したのです。〕
イエスはお答えになりました。「いよいよ、わたしが天の栄光の座に帰る時が来ました。
わたしの名によって、父に願い求めなさい。どんなことでもかなえてあげましょう。父が子によってほめたたえられるためです。
しかし、父がわたしの代わりに助け手(聖霊)を送ってくださる時には、その方があなたがたにすべてのことを教え、わたしが話しておいたことを、みな思い出させてくださるのです。
また、わたしの栄光を示すことによって、わたしに大きな栄誉を与えます。
しかし、わたしが行くことは、あなたがたにとって一番よいことなのです。わたしが行かなければ、助け手である聖霊はおいでになりません。行けば必ずおいでになります。それというのも、わたしがその方を遣わすからです。
ひとしきり語り終えられると、イエスは天を見上げて言われました。「父よ。いよいよ時が来ました。わたしがあなたに栄光をお返しできるように、わたしの栄光を現してください。
父よ。今こそあなたの前で、わたしの栄光を現してください。世界が造られる前から、ごいっしょに持っていたあの栄光で、わたしを輝かせてください。
そして一同に息を吹きかけ、また言われました。「聖霊を受けなさい。
それを見た人々は、どんなにすばらしい奇跡が起こったのか初めて気づき、口々に、「この方こそ待ちに待ったあの預言者だ!」と叫びました。
確かに、イエスのことはいろいろと話題になりました。「あの方はすばらしい方だ」とほめる者もいれば、「いや違う。とんだ詐欺師だ」と非難する者もいました。
イエスは言われました。「わたしがただ自慢しているだけなら、全くむなしいものです。しかし、わたしに栄光を与えてくださるのは父なのです。この方を、あなたがたは『私たちの神様』と呼んでいます。
「ところで、信じた時、聖霊を受けましたか。」「いったい何のことでしょう。聖霊のことなど聞いたこともありません。」
『神は言われる。 終わりの日に、 わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。 その時、あなたがたの息子、娘は預言し、 青年は幻を見、 老人は夢を見る。
いまイエス様は、天で最も栄誉ある神の右の座についておられます。そして、約束どおり、父なる神は聖霊を送ってくださいました。その結果、たった今、あなたがたが見聞きしたことが起こったのです。
ペテロは答えました。「一人一人、罪の生活から悔い改めて神に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊という賜物をいただけます。
するとどうでしょう。その場にいた人たちは、みな聖霊に満たされ、知りもしない外国語で話し始めたではありませんか。聖霊が、それだけの力を与えてくださったのです。
この奇跡は、アブラハム、イサク、ヤコブの神様、つまり私たちの先祖の神様が、そのしもべイエスに栄光を与えるためになさったことです。その方を、あなたがたはピラトの面前で、はっきりと拒否しました。ピラトがあれほど釈放しようとしたにもかかわらず。
こう祈った時、集まっていた家が激しく揺れ動き、一同はたちまち聖霊に満たされて、大胆に神の教えを語り始めました。
しかし、あなたがたはそうではありません。もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、新しい性質に支配されているのです。もしその人のうちにキリストの御霊が住んでおられないなら、その人はクリスチャンではありません。
とすれば、御霊がいのちを与えてくださる、この今の時には、はるかにすばらしい栄光を期待できるのではないでしょうか。
聖霊を悲しませるような生き方をしてはいけません。この聖霊は、罪からの救いが完成する日のために、救いの確かな証印を押してくださる方であることを忘れてはなりません。