エルサレム市内には、羊の門の近くにベテスダという池がありました。池の回りには、屋根つきの五つの廊下があります。
続いて、エフライムの門から古い門に進み、魚の門とハナヌエルのやぐらを通ってメアのやぐらへと巡りました。そして羊の門へ行き、監視の門で止まったのです。
大祭司エルヤシブはじめ祭司たちは、メアのやぐらとハナヌエルのやぐらまでの城壁を再建し、次に羊の門を再建して扉を取りつけ、それを奉献しました。
そこから羊の門までは、ほかの金細工人や商人たちが完成させました。
大急ぎで城壁を調べて、 修理が必要な箇所を探し、家々を見て回り、 ある家を壊して城壁を修理する材料にします。 また、二重になっている城壁の間に貯水池を造り、 下の池から水を引きます。 しかし、このような必死の努力も無駄になります。 ずっと前からこのような計画を立てていた神の助けを、 求めなかったからです。」
こう言われて、ピラトはまたもやイエスを外に連れ出し、「敷石」〔ヘブル語で、ガバタ〕と呼ばれる場所で裁判の席に着きました。
ついにイエスはユダヤ人たちの手に渡されました。イエスは十字架を背負わされ、エルサレム市外の、「どくろ」〔ヘブル語で、ゴルゴタ〕という場所へ引かれて行きました。
処刑の場所は都に近く、しかも罪状書きはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあったので、大ぜいの人が読みました。
「マリヤ。」イエスが呼びかけられました。その声にマリヤは、イエスのほうを向いて叫びました。「先生!」
そこに、足の不自由な人、盲人、手足のまひした人など、大ぜいの病人が横たわっていました。この人たちは、水面が揺れ動くのを待っていたのです。
「あなたがたは、わたしが安息日に病気の人を治したら、労働をしたと驚いています。だが、あなたがたはどうでしょうか。モーセの律法どおりに割礼(男子が生まれて八日目に、その性器の包皮を切り取るユダヤ教の儀式)を施すためには〔実際は、割礼の習慣はモーセの律法より古くからあったのですが〕、安息日でも平気で労働するではありませんか。割礼の日がちょうど安息日にあたっても、割礼を施しているではありませんか。それなら、安息日に病人を元気にしてやって、どこが悪いのでしょう。何を根拠にわたしを非難するのですか。
司令官が許可したので、パウロは階段の上に立ち、身ぶりで人々を静めました。まもなくすっかり静かになったところで、パウロはヘブル語で話し始めました。
こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所の近くに、世界の全軍隊を結集させました。
彼らの王は、底なしの穴の支配者で、その名をヘブル語でアバドン(破壊)、ギリシヤ語でアポリュオン(破壊者)と呼ばれていました。