イエスは、「いや、けっこうです。わたしには、あなたがたの知らない食べ物があるのです」と言われました。
神の命令は食事をする以上の楽しみだった。
神との親密な関係は、 主を敬う者にしか持つことはできません。 神はそのような人とだけ、 秘密の約束をかわされます。
こうして、ついには身も心も満ち足りるのです。 私は喜びにあふれて賛美します。
悲しみも喜びも、真にわかるのはその人自身で、 他の人が完全に共有することはできません。
忠告するのが上手な人は、 ごちそうをたらふく食べたときのような 満足感をいつも味わいます。
彼は、自分のたましいが苦しみもだえた末、 神のみわざが実現するのを見て、満足します。 「わたしの正しいしもべは、 このような苦しみを経験して、 多くの人を神の前に義とする。 彼が人々の罪をすべてになうからだ。
神のおことばは、私をしっかり支えます。 それは、飢え渇いた私のたましいにとっての食物です。 私の重い心に喜びをもたらし、 楽しみで満たしてくれます。 主よ。私は、神の預言者にされたことを 誇りに思います。
そのころ、弟子たちはイエスに、「先生。どうぞお食事を」と勧めましたが、
弟子たちはけげんそうに、「だれかが食べ物を持って来たんだろうか」と口々に言いました。
そこでイエスは説明なさいました。「いいですか、わたしの言う食べ物とは、わたしを遣わされた神のお心にかなうことをし、神の仕事をやり遂げることなのです。
また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。それは、『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエスのことばが、いつも頭にあったからです。」
聞く耳のある人は、聖霊が諸教会に言われることを、よく聞きなさい。勝利を得る人は天からの食べ物が与えられ、また、めいめいに白い石が与えられます。その石には、本人以外はだれも知らない、新しい名前が刻まれています。」』