食事がすむと、イエスはシモン・ペテロを見つめておっしゃいました。「ヨハネの子シモン。ほかのだれよりもわたしを愛しますか。」「はい、主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」「それでは、わたしの小羊を養いなさい。」
「ありがとう、兄さん。でもせっかくですが、ごらんのとおり、小さな子どもや生まれたばかりの家畜もいるものですから。あまり急がせたら、群れは死んでしまうでしょう。
このうえ、何を申し上げることができましょう。あなたは私がどのような人間か、すべてご存じです。
「ああ主よ。どうか、私がいつもあなたにお従いし、何につけてもあなたをお喜ばせしようとしてきたことを思い出してください。」こう言って、彼は泣き伏しました。
また、羊飼いのように群れの世話をし、 子羊を抱いて運び、雌羊を優しく導きます。
また彼らの上に、責任感の強い羊飼いを立てる。彼らは二度と怖がる必要はなく、四六時中、守られるようになる。
また、わたしの心にかなった指導者を与える。彼は知恵と知識をもって、おまえたちを導く。
わたしは、民全体を牧する一人の羊飼いを立てよう。それはわたしの忠実なしもべ、ダビデである。彼は羊飼いとなって、わたしの民を養う。
その人は、「この庭は神殿で祭司を助けるレビ人のもので、人々が持って来たいけにえを料理する場所だ」と話してくれました。
わたし以上に父や母を愛する者は、わたしを信じる者にふさわしくありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしを信じる者にふさわしくありません。
「ヨナの息子シモンよ。神があなたを祝福してくださったのです。それを明らかにしたのは、人ではなく、天におられるわたしの父です。
この小さい子どもたちの一人でも、見下げたりしないように気をつけなさい。言っておきますが、天国では、子どもたちを守る天使が、いつでもわたしの父のそば近くにいるのです。
「たとえ、みんながあなたを見捨てようと、この私だけは絶対に見捨てたりしません」と訴えるペテロに、
しかしペテロは、「死んでも、あなたを知らないなどとは申しません」と言い、ほかの弟子たちも、口々に同じことを言いました。
すると、ペテロが言いました。「だれがどうあろうと、私だけは、この私だけは絶対にあなたを捨てません。」
また、たとえ少数派でも恐れることはありません。神は喜んで、あなたがたを神の国に導いてくださるのです。
しかし、安心しなさい。あなたの信仰がなくならないように、祈ってあげました。だから、悔い改めて立ち直った時には、仲間の者たちもしっかり立てるように、力づけてやりなさい。」
そして、彼をイエスのところへ連れて行きました。イエスはシモンをじっと見つめ、「あなたはヨハネの子シモンですね。これからは、ペテロ(岩)と呼びましょう」と言われました。
ペテロは言いました。「でも、どうしてですか。どうして今はだめなのですか。あなたのためなら死ぬ覚悟もできています。」
わたしを愛し、わたしが父から来たことを信じるあなたがたを、父も心から愛してくださるからです。
「さあ、ここへ来て、朝ごはんにしなさい」とイエスはうながされます。「ほんとうに主ですか」とあえて尋ねる者は一人もいません。それほどはっきりわかったのです。
その時、私ははっと気がつき、「おい、あの方は主だよ!」とペテロに言いました。それを聞くと、ペテロは裸だったので、あわてて上着をはおり、水に飛び込みました。
「ほんとうにそのとおりなら、わたしを愛したはずです。わたしは神のもとから来たのですから。自分の考えで、今ここにいるのではありません。父がここにお遣わしになったのです。
注意しなさい。あなたがたは、神の羊たち〔神がキリストのいのちと引き替えに買い取った教会〕を養い育てる立場にあるのです。このことをしっかり肝に銘じておきなさい。いいですか、聖霊があなたがたに、監督者としての責任をお与えになったのです。
私が去ったあと、狂暴な狼のような偽教師たちが忍び込み、群れを荒らし回るでしょう。
あなたがたの仲間に加わりたいという人がいたら、たとえ信仰の弱い人であっても、心を開いて迎え入れなさい。考えが違うからといって批判してはいけません。
何かをする場合、ただ自分の喜びのためにするのはよくありません。それは悪いことではないかと疑問や不安を持つ人を思いやり、そういう弱さを持つ人々の「重荷」を軽くしてあげなさい。そして、人の益になることをし、その人が主にあって成長できるよう支えましょう。
すると、それを食べても差しつかえないことを知っていたあなたは、傷つきやすい良心を持った兄弟に、信仰上の大きな損害を与えてしまうことになります。キリストは、その兄弟のためにも死んでくださったのです。
キリストから永遠のいのちをいただいた私たちは、割礼を受けたかどうか、ユダヤ教の儀式を守っているかどうか、心配する必要はありません。私たちに必要なのは、愛によって働く信仰だけです。
そこで、もはや、だれかから間違ったことを教えられたり、うそを真実のようにたくみに見せかけられたりしても、そのたびに、子どものようにふらふらと信じるものを変えてはいけません。
どうか、神の恵みと祝福が、主イエス・キリストを心から愛する、すべての人にありますように。 パウロ
偉大な羊飼いである主イエスを死者の中から復活させてくださった平和の神が、どうか、あなたがたに、神の御心にかなった行いをするのに必要なすべてのものを満たしてくださいますように。神とあなたがたとの間に立てられた永遠の契約の血によって、それが可能となりますように。どうか、キリストに栄光がいつまでもありますように。アーメン。
神は、人がどこにいようと、すべての人の心を見抜かれるお方です。神に造られたもので、神の目から隠れおおせるものは一つもありません。今も生きて、すべてを見抜かれる神の前に、私たちは裸のままさらけ出されているのです。私たちはこの方に対して、自分のなしたすべてのことを弁明しなければなりません。
あなたがたは、イエス・キリストを見たことがないのに愛しており、いま見ていないのに信じています。そして、天からの、ことばに表せない栄光に満ちた喜びに浸っているのです。
すでに主の恵みといつくしみを経験したのですから、乳を求める赤ん坊のように、熱心にみことばを求めなさい。
あなたがたは神から離れて迷子の羊のようにさまよっていましたが、今は、どんな敵の攻撃からもたましいを安全に守ってくださる、羊飼いである方のもとに帰ったのです。
私たちが神を愛することができるのは、神がまず私たちを愛してくださったからなのです。
イエスはキリストである、すなわち、神の子であり救い主であると信じるなら、その人は神の子どもです。父なる神を愛する人はみな、神の子どもたちを愛するはずです。
また、あの女の子どもたちも打ち殺します。こうしてすべての教会は、わたしが人の心と思いを見通すことを知るのです。わたしは一人一人に、それぞれの行いに応じて報います。