「こいつは自分を神の子とぬかしました。私どもの法律では死刑です。」
しかし、彼は私たちの悲しみを負い、 私たちの嘆きをにないました。 私たちは、彼がそんなに苦しむのは、罪を犯して 神に罰せられているからだと思いました。
十字架のそばに立っていたローマ軍の士官は、イエスの死の有様を見て、「この方はほんとうに神の子だった」と言いました。
そのことばを聞くと、ピラトはますますこわくなりました。
これを聞いたユダヤ人の指導者たちは、ますます、イエスを殺そうと思うようになりました。イエスが安息日のおきてを破ったばかりか、事もあろうに神を「父」と呼んで、自分を神と等しい者としたからです。
「ローマの法律に反するやり方で、神を礼拝しろと教える不届き者です」と訴えました。
しかも、死んでのち復活することにより、神のきよい性質を備えた、力ある神のひとり子であることが証明されたのです。
しかし、預言者が自分の考えをわたしの教えのように見せかけて語ったり、ほかの神々の教えを語ったりしたときは、その預言者は死ななければならない。』