こう言ったのは、彼が貧しい人たちのことを心にかけていたからではなく、会計を任されているのをいいことに使い込みを重ねていたからです。
心の中で「神などいない」と言う者は愚かです。 彼の心は腐っており、 正しい人であるはずがありません。
正しい人は貧しい人の権利も認めますが、 神を信じない者は気にもかけません。
彼らはもっともらしい顔をしてやって来る。そして、あなたの前に座って聞くだろう。だが、わたしの言うとおりにする気はさらさらない。口では、いかにも調子よく、わたしを愛しているようなことを言うが、心は金銭欲でいっぱいだ。
そして、彼らにはっきりと言われました。「聖書には、『わたしの神殿は祈りの場所と呼ばれる』(イザヤ56・7)と書いてあります。ところがあなたがたは、それを強盗の巣にしてしまったのです。」
ヘロデ王の執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナをはじめ、自分の財をもって、イエスや弟子たちの世話をする大ぜいの女性がいました。
雇い人はお金で雇われているだけで、羊のことをほんとうに心にかけているわけではないので、平気で逃げてしまうのです。
「やれやれ、この香油はひと財産ものだよ。売って、その代金を貧しい人たちに恵んでやればよさそうなものを。全くもったいない話だ。」
ユダが一行の会計係だったので、祭りに必要なものを買い求めるように言われたか、貧しい人々に施しをするように言われたのだろう、と思った者もいました。
ただ一つ、貧しい人たちを援助することをいつも忘れないように、と言われましたが、そのことなら、私も熱心に努めてきたところです。
あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
たとえば教会に、金の指輪をはめたりっぱな身なりの金持ちと、みすぼらしい身なりの貧しい人が入って来たとします。
それなのに、あなたがたは貧しい人を軽蔑したのです。あなたがたをひどい目に会わせ、裁判所に訴えるのは、裕福な人たちではありませんか。