よく言っておきます。畑にまかれる一粒の麦のように、わたしも地に落ちて死ななければなりません。そうしなければ、いつまでたっても一人のまま、一粒の種のままです。しかし、死ねば多くの新しい実が生じ、新しいいのちが豊かに実を結ぶことになります。
たとえ根が老化し、根株が枯れても、 水さえあれば新しい苗木のように芽を吹き、枝を出す。
天日で乾かした粘土のようにひからび、 舌は上あごにくっつきました。 主が私を、死のちりの中に置かれたからです。
どうか、平野ばかりか高原にも、 豊作の恵みをもたらしてください。 レバノンのような実り多い地にしてください。 青々とした野原のように、 町を人々であふれさせてください。
パンの材料になる麦はすぐにつぶれるので、 いつまでもたたいたりはしません。
キリストが死んで復活したのは、私たちが生きている時も死んでいる時も、キリストが私たちの主となられることでした。