「わたしは神のお心どおり、たくさんの良いわざを行って人々を助けただけです。それのどこが悪くて殺されなければならないのでしょうか。」
良いことをしてやっても、悪でそれに報いるのです。 私はもう力尽きてくずおれそうです。
次に私は、物事を成功させる原動力がねたみであることを知りました。これもまたむなしいことで、風を追いかけるようなものです。
続いてエレミヤは、牢に入れられたことに話題を変えました。「私は牢に入れられるようなことは何もしていません。いったいどんな罪を犯したというのですか。もし私が、あなたや家来や一般の民衆に対して何か悪いことをしたのなら、それを教えてください。
盲人は見えるようになり、足の立たなかった者が今は自分で歩けるようになり、ツァラアトの人が治り、耳の聞こえなかった人も聞こえ、死人が生き返り、そして、貧しい人々が福音を聞いていることなどを。
彼らの質問に、イエスはお答えになりました。「そのことならもう話しました。あなたがたは信じませんでしたが。わたしは、父の御名によって何度も奇跡を行ったでしょう。証拠はそれで十分なはずです。
これを聞いたユダヤ人の指導者たちは、やにわに石をつかみました。イエスを打ち殺そうというのです。
「なにも良い行いを責めているわけではない。神を汚したからだ。ただの人間のくせに、神だなどとぬかしおって!」
わたしが神のみわざを行っていないのなら、わたしを信じなくてかまいません。
しかしわたしには、ヨハネの証言よりも、もっとすぐれた証言があります。それは、わたしの行う奇跡です。これらの奇跡は、父がわたしに託されたもので、父がわたしをお遣わしになったという動かぬ証拠なのです。
ナザレのイエスは神の聖霊と力とに満たされて、すばらしいみわざを行い、また悪霊につかれている人たちをみないやしながら、各地を巡回されました。それは、神様がこの方と共におられたからだということも、きっとご存じでしょう。
ああ、皆さん。これから申し上げることを聞いてください。よくご存じのように、ナザレのイエスは、あなたがたの前で、力ある奇跡を行われました。神様はそれによって、だれにもはっきりわかるように、イエス様の身元を保証なさったのです。
カインのようになってはいけません。カインは悪魔の子どもになって、弟を殺しました(創世4章)。弟の正しい生活と比べて、自分の生活があまりにも悪いと自覚していたからです。