それまでは私も、この方がキリストだとはわかりませんでした。しかし、バプテスマを授けさせるために私を遣わす時、神がこう言われたのです。『もし、聖霊がだれかに下り、その上にとどまるのを見たら、その方こそ、あなたの捜し求めている方、聖霊のバプテスマをお授けになる方である。』
私は今、罪を悔い改める者たちに水でバプテスマを授けている。しかし、まもなく私など比べものにもならない、はるかに偉大な方がおいでになる。その方のしもべとなる価値さえ、私にはない。その方は、聖霊と火でバプテスマをお授けになり、
この疑問を、ヨハネはきっぱり否定しました。「私は水でバプテスマを授けているだけだ。しかし、もうすぐ私よりはるかに権威ある方が来られる。その方のしもべとなる価値さえ、私にはない。その方は、聖霊と火でバプテスマをお授けになる。
最初、私もこの方がキリストであるとはわかりませんでした。しかし、私がここで水のバプテスマを授けているのは、まさにこの方を、イスラエルの人々に紹介するためだったのです。」
しかし、父がわたしの代わりに助け手(聖霊)を送ってくださる時には、その方があなたがたにすべてのことを教え、わたしが話しておいたことを、みな思い出させてくださるのです。
神から遣わされたあの方は、神のことばをお話しになります。神の御霊が無限に注がれているからです。
「よく言っておきますが、だれでも水と御霊によって生まれなければ、神の国には入れません。
〔イエスは聖霊のことを言われたのです。聖霊は、イエスを信じる人すべてに与えられることになっていましたが、この時はまだ与えられていませんでした。イエスが天にある栄光の座に戻っておられなかったからです。〕
バプテスマのヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けましたが、もうすぐ、あなたがたは聖霊によるバプテスマを受けるからです。」
するとどうでしょう。その場にいた人たちは、みな聖霊に満たされ、知りもしない外国語で話し始めたではありませんか。聖霊が、それだけの力を与えてくださったのです。
私たちはそれぞれ、キリストの体の一部です。ある者はユダヤ人、ある者は外国人、ある者は奴隷、ある者は自由人です。しかし聖霊は、私たちをみな結び合わせて、一体としてくださいました。私たちは、ただひとりの聖霊によって、キリストの体に結び合わされるバプテスマ(洗礼)を受け、みな同じ神の霊を与えられているのです。