ユダヤ人の指導者たちは、エルサレムから、祭司とその助手たちとをバプテスマのヨハネのもとへ派遣し、「あなたはキリスト(ギリシャ語で、救い主)なのか」と問いたださせました。
ユダヤ人の指導者たちが来て、回りを取り囲みました。「いつまで気をもませるつもりですか。キリスト(救い主)なら、はっきりそう言ったらいいでしょう。」
これを聞いたユダヤ人の指導者たちは、やにわに石をつかみました。イエスを打ち殺そうというのです。
エルサレムからも大ぜいのユダヤ人たちが弔問に詰めかけていました。マルタとマリヤが慰めのことばを受けているところへ、
おさまらないユダヤ人の指導者たちは、かんかんになって言いました。「いったい何の権利があってこの人たちを追い出すのか。そんな権威を神から与えられているのだったら、その証拠に奇跡を見せてもらおう。」
「なんということを! この神殿は建てるのに四十六年もかかったのだ。それを三日で建てると言うのか。」ユダヤ人たちはあきれ返りました。
ユダヤ人の指導者たちはひどく腹を立て、その男を責めました。「安息日に労働するとはけしからん。床を上げて運んだりするのは違反だ!」
男はユダヤ人の指導者たちを捜し出し、治してくれたのはイエスだと告げました。
ユダヤ人の指導者たちは、イエスを安息日の違反者だとして、しつこく攻撃を始めました。
これを聞いたユダヤ人の指導者たちは、ますます、イエスを殺そうと思うようになりました。イエスが安息日のおきてを破ったばかりか、事もあろうに神を「父」と呼んで、自分を神と等しい者としたからです。
ユダヤ人たちはイエスが、「わたしは天から下って来たパンです」とはっきり言われたので、ぶつぶつ文句を言い始めました。
ユダヤ人たちは、イエスがいったい何を言っているのかと、あれこれ議論し始めました。「なんてことを言うんだ。自分の体を食べさせるなんて、そんなことができるはずないじゃないか。」
このあと、イエスはガリラヤに行き、村から村を巡回されました。ユダヤ人の指導者たちが命をつけねらっていたので、ユダヤ以外の地に身を避けようと思われたからです。
ユダヤ人の指導者たちは、祭りの間にイエスを見つけ出してやろうと思い、「だれかイエスを見かけた者はいないか」と、やっきになって尋ね回りました。
それを聞いたユダヤ人の指導者たちは驚いて、「この男は一度も学校で学んだことがないのに、どうしてこんなに深い知識を持っているのだろう」と言い合いました。
ユダヤ人たちには、さっぱりわけがわかりません。「この人は自殺でもするつもりなのか。彼が行く所へ私たちは行けないとは、いったいどういうことだろう」と、首をかしげるばかりでした。
「おまえはサマリヤ人だ! よそ者だ! やっぱり悪霊に取りつかれているのだ。」ユダヤ人たちはわめき立てました。
「おまえが悪霊に取りつかれていることが、はっきりした。アブラハムも、偉大な預言者たちも死んだのに、『わたしに従う者は死なない』などと、よく言ったものだ。
「まだ五十歳にもなっていないあんたが、よくアブラハム様を見ることができましたね。」
そのヨハネが、働きを終える時、こう言ったのです。『あなたがたは、私をだれだと思っているのか。私はメシヤ(救い主)ではない。ほんとうのメシヤはまもなくおいでになる。この方に比べれば、私など全く取るに足りない者だ。』
これを聞いたパウロは、ヨハネのバプテスマは、罪を離れて神に立ち返る決意を表すものだから、それを受けた者が、ヨハネの証言どおり、あとから来られたイエスを信じるのは当然のことだと説明しました。
ツァラアトの場合は、祭司の言うとおりにしなさい。どうすればよいかは、すべて祭司に教えてあります。
神は光であられ、そのうちには少しも暗い部分がありません。これが、神が私たちにゆだねられた、あなたがたへの知らせです。