ヨシュアは主に向かって叫びました。「ああ主よ。エモリ人の手によって私たちを滅ぼすおつもりなら、どうして私たちにヨルダン川を渡らせたのですか。どうして、すでに得ていたもので満足させてくださらなかったのですか。こんなことになるくらいなら、ヨルダン川の東側にとどまっていればよかったのです。
イスラエルの王は悲鳴を上げました。「ああ、どうしよう。主はわれわれを、モアブの王の餌食にしようと、ここに連れ出されたのだ。」
「ああ、エジプトにいればよかったのに。あのまま主の手にかかって死んだほうがまだましだった。あのころは、少なくとも食べ物はたっぷりあった。なのに、あなたたちはこんな荒野に私たちを連れ出し、ここでみんなを飢え死にさせようとしている。」
しかし、のどの渇きに苦しむ彼らに効果はありません。「何だと? おまえこそ、なぜわれわれをエジプトから連れ出したんだ! 子どもたちや家畜もいっしょにこんな所まで連れて来て、あげくの果てに死なせようなんて、あんまりではないか。」
『なんだ、あの神は。荒野でイスラエル人どもを養うこともできず、結局は殺してしまった。約束の地へ連れて行く力など、初めからなかったのだ』と、ばかにするに違いありません。
「ああ、なんと不信仰な人たちでしょう。いったいいつまで、あなたがたのことを我慢しなければならないのですか。さあ、その子をここに連れて来なさい。」
イエスはお答えになりました。「信仰が足りないからです。もしあなたがたに小さなからし種ほどの信仰があったら、この山に向かって『動け』と言えば、そのとおり山は動くのです。何でもできないことはありません。
あなたがたは神の勧めを忘れていないでしょうか。神は、このように声をかけてくださっているのです。 「わが子よ。 主の懲らしめを、軽く考えてはならない。 主の叱責に、気落ちしてはならない。
ヨシュアと長老たちは心を痛め、衣服を裂き、頭にちりをかぶって、夕方まで主の箱の前にひれ伏しました。
ああ主よ。敵に背を見せてしまった今となっては、どうすることもできません。
戦いが終わって陣営に戻ったイスラエル軍では、さっそく指導者たちが、なぜ主がイスラエルを痛めつけられたのかを論じ合いました。「契約の箱を、シロから運んで来ようではないか。それをかついで出陣すれば、主は必ず敵の手からお守りくださるだろう。」