知らずに人を殺してしまった場合、その町に逃げ込み、被害者の身内の復讐を逃れるためである。
「どうか、神にかけてお誓いください。息子には指一本ふれさせはしない、と。これ以上、血を見るのはたまりません。」 「神にかけて誓おう。あなたの息子の髪の毛一本も損なわれはしないと。」
「人々に言いなさい。過ってわたしの戒めを破った場合の規定はこうである。
そうすれば、被害者の家族も容易に復讐はできない。裁判で有罪と決まるまでは、たとえ人殺しでも死刑にはできない。
被害者のために復讐したければ、自分で手を下してもかまわない。犯人に出会ったら殺してもよい。
しかし、過失の場合はそうではない。わざと物を投げたのでも、怒って石を投げたのでもなく、投げた本人が人に当てようなどとは夢にも考えず、人を殺そうと思ったわけでもないのに、たまたまそれが当たって人が死んだ場合は、
神は、約束と誓いの両方を与えてくださいました。神は偽りを言われることがありません。そのため、救いを求めて神のもとに逃れて来る人たちは、確かな保証をいただいて、新たな勇気を奮い起こすことができます。そして、神の救いの約束を、少しの疑いもなく確信できるのです。
「モーセに指示しておいたことだが、避難用の町を設けるようにイスラエルの人々に言いなさい。
過って人を殺した者は、町に着いたら長老に会って事情を説明しなさい。彼らはその者を迎え入れ、町で暮らせるように一区画を与えてくれる。