喜べ、エルサレムの民よ。 あなたがたの神、主を喜べ。 神が送る雨は、赦しの確かなしるしだ。 春に雨が降るように、秋にもまた雨が降る。
しかし、そこに御使いがいて、 友人として彼をとりなし、 彼がいかに正しいかを告げるなら、 神は彼をあわれんでこう言う。 『彼を自由の身にせよ。死なせるな。 彼の身代わりができたからだ。』
神が嵐を起こすのは懲らしめのため、 また、いつくしみで人々を元気づけるためだ。
どうか、この思いが神に喜ばれますように。 私にとって、主は喜びの泉なのです。
神は雲で天を覆い隠し、夕立を送り、 牧草を青々と生えさせてくださいます。
イスラエルよ、あなたを造られた主を喜びなさい。 エルサレムの人々よ、王であるお方の前で喜びなさい。
主は私の力、あらゆる危険から身を守る盾です。 私の信頼に答えて、神は助けてくださいました。 心にわき上がる喜びは、賛美の歌となってあふれます。
ですから、神のものとなっている人々は喜びなさい。 神に従おうとする人々は、 喜びの声を上げなさい。
そのような人にとっては、 涙の谷も、祝福のわき出る泉となるでしょう。
王を喜ばせる者は目をかけられます。
あなたが神の道を離れて迷っても、うしろから、「そちらではない。こっちの道を歩きなさい」という声が聞こえます。
そののち、神は種まく時期には雨を、収穫時には黄金の穂波を、また乳牛には牧草をたっぷりと与えます。
それを空中に放り上げると、風が吹き飛ばし、 つむじ風がまき散らす。 こうして主の喜びがあなたの心を満たし、 あなたはイスラエルの神を誇りに思うようになる。
神が私をどんなに幸福にしてくださったか、 お話ししましょう。 神は私に救いの衣を着せ、 正義の外套をかけてくださいました。 私はまるで、婚礼の服をまとった花婿、 宝石で身を飾った花嫁のようです。
今は春の雨も降らなくなった。 おまえたちが恥知らずの売春婦だからだ。
純金とも言うべき、えりすぐりの若者が、 土の器のように扱われています。
わたしの民と、わたしの丘の回りにある彼らの家々とを祝福しよう。そこに恵みの雨を降らせよう。季節ごとに雨を降らせる。
ああ、主を知りたい。 さらに主を求めよう。 そうすれば、必ず夜明けが訪れ、 早春の雨期がくるように、必ず答えてくださる。』
季節ごとに雨を降らせ、豊作をもたらす。麦の脱穀はぶどうの時期までかかり、ぶどうの取り入れは次の種まきの時まで続く。不自由なく安心して暮らせるだろう。
収穫の前に三か月間雨を降らせないで 作物をだめにした。 ある町には雨を降らせたが、 他の町には降らせなかった。 ある畑には雨が降っているのに、 他の畑は乾ききっていた。
春の雨を主に願いなさい。 そうすれば、いなずまと夕立で答えてくれます。 どこの野も青々とした牧場となるでしょう。
彼らは力強い戦士のようになる。 ぶどう酒に酔った時のような喜びを味わい、 子どもたちも主のあわれみを見て喜ぶ。 彼らの心は主にあって喜びにあふれる。
ユダよ、おまえはわたしの弓だ。 エフライムよ、おまえはわたしの矢だ。 二人とも、わたしの剣、 ギリシヤ人に向かって勇士が振りかざす剣のようだ。」
わたしの民よ、大いに喜べ。 歓声を上げよ。 見よ。おまえたちの王が来る。 その王は正しい方、勝利者だ。 柔和で、ろばの子に乗っている。
といっても、神のことが全然わからなかったわけではありません。神を思い起こさせるものは、いつでも私たちの周囲にあったのです。たとえば、雨を降らせてくださったのも神ですし、食べ物が不足しないようにと、収穫を与えて、喜びに満たしてくださったのも神なのです。」
主は春と秋に必ず雨を降らせ、穀物も、ぶどう酒用のぶどうも、油を採るオリーブも豊かに実らせてくださいます。
天の雨の倉を開き、豊かな収穫をもたらす雨を季節ごとに降らせてくださるのです。すべてが順調にいくのであなたは栄え、多くの国に貸し与えるようにはなっても、借りることはありません。
こぬか雨や露のように静かに、 若草をぬらす雨のように心地よく、 山腹を駆ける夕立のように激しく、 私のことばは下る。
愛する皆さん。どんなことが起ころうと、主にあって喜びなさい。このように何度も言いますが、それを私はめんどうとは思いませんし、あなたがたも聞かされたほうがいいのです。
肉体の一部を切り取りさえすれば、神の子どもになれるのではありません。霊をもって神を礼拝する者こそ、神の子どもなのです。その礼拝こそが、ただ一つの真の「割礼」です。クリスチャンが誇れることと言ったら、キリスト・イエスがなしてくださったみわざだけです。自分で自分を救うことなどとてもできないと、よく知っているはずです。
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。