あなたがたは、自分を守るすべを持たない善良な市民に罪をかぶせて殺してきたのです。
彼らはわいろをもらって正義を曲げ、 悪者を保釈して罪のない者を牢にたたき込みます。
彼は痛めつけられ、苦しみ悩みました。 それでも、ひと言も語りませんでした。 子羊のようにおとなしくほふり場へ引いて行かれ、 毛を刈り取られる羊のように、 非難を浴びせる者たちの前に黙って立ちました。
ところが農夫たちは、その息子が来るのを見ると、『あれは、ぶどう園の跡取りだ。よし、あいつを片づけよう。そうすれば、ここは自分たちのものだ』と言って、
ところが、祭司長とユダヤの役人たちは、バラバを釈放し、イエスの死刑を要求するように、群衆をたきつけました。
しかし、わたしはあえて言いましょう。暴力に暴力で手向かってはいけません。もし右の頰をなぐられたら、左の頰も向けてやりなさい。
するとアナニヤはこう言ったのです。『先祖たちの神があなたをお選びになったのです。神がそのことをあなたに知らせ、イエス・キリストに会わせ、その御声を聞かせてくださったのです。
あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者の名をあげることができたら、一人でもいいから言ってごらんなさい。もっとも、先祖たちは、正しい方がおいでになると預言した人たちを殺したのですが、あなたがたは、当のメシヤ(救い主)を裏切り、殺したのです。
読んでいたのは、こういうところでした。 「その方は、 殺されるために引かれて行く羊のように、 また、 毛を刈る者たちの前で黙っている小羊のように、 口を開かなかった。 その方は卑しい者と見なされ、 正しいさばきも受けなかった。 だれが、この時代の人々の邪悪さを語れよう。 その方のいのちが地上から取り去られたからには。」(イザヤ53・7-9)
神の前に義と認められる人たちは、信仰によって生きるのです。しりごみするような人を、神は喜ばれません。
それなのに、あなたがたは貧しい人を軽蔑したのです。あなたがたをひどい目に会わせ、裁判所に訴えるのは、裕福な人たちではありませんか。
あなたがたときたら、人を殺してでも欲しいものを手に入れたがるのです。うらやんでも手に入れることができないと、力ずくで奪おうとしてけんかをします。神に願い求めることをしないからです。
正しい人がかろうじて救われるのであれば、神を信じない人々は、いったいどんなことになるのでしょう。