たましいのない体が死んだものであるように、行いのない信仰は死んだも同然です。
もし、あなたのそのような配慮がなければ、 彼らは途方にくれ、飢え死にするしかありません。
人はみな死ぬ運命にあるからです。 呼吸が止まり、いのちの火が消えた瞬間に、 その人の人生の計画は、すべて無になるのです。
やがて、ちりは元の地に帰り、たましいは、これを授けた神のもとに帰ります。
息のようにはかなく、あわれな人間よ。 そんな人間を絶対に信頼してはいけません。
その時イエスは、大声で、「父よ。わたしの霊を御手におゆだねします!」と叫んで、息を引き取られました。
キリストから永遠のいのちをいただいた私たちは、割礼を受けたかどうか、ユダヤ教の儀式を守っているかどうか、心配する必要はありません。私たちに必要なのは、愛によって働く信仰だけです。
愛する皆さん。自分には信仰があると言っても、それを行動で表さなかったら、どうしてその信仰を実証できるでしょう。そのような信仰が、人を救うことができるでしょうか。
このように、信仰に行いが伴わなければ、その信仰は死んだも同然です。
ああ、あなたは、なんと愚かであわれな人でしょう。みことばを実行しなければ、信じることなどむなしいことを、いつになったら悟るのですか。行いを伴って初めて本物と言えるのです。