人は、自分の欲や悪い考えに引かれて誘惑されるのです。
言われてみれば、そう思えないこともありません。それに、その実はとてもきれいで、おいしそうなのです。「あれを食べたら何でもよくわかるようになるんだわ。」女はそう思いながら見ていると、もう我慢できなくなり、とうとう実をもいで食べてしまいました。そばにいたアダムにも分け与えたので、彼もいっしょに食べました。
主は、人々の悪が目に余るほどひどく、ますます悪くなっていく一方なのを知って、
神はそれを喜び、こう心に誓われました。「もう二度とこのようなことはしない。人間は子どもの時から悪い性質を持っていて、悪い考えを抱くものだ。わたしはもう、大地をのろって生き物を滅ぼすようなことは絶対にしない。
彼女は、月経後の汚れのきよめをしていたところでした。ダビデは女を召し入れ、忍んで来た彼女と床を共にしたのです。こうして彼女は家に帰りました。
心ひそかに魅せられ、 手を合わせて拝んだことがあるだろうか。
私が人の妻を欲しがったことがあるというなら、
何よりも、あなたの心を守りなさい。 心は生活全体に影響を与えるからです。
人にだまされている哀れな者は灰を食べます。何の助けにもならないものを頼りにしているからです。彼はまともな考え方ができません。「この手に握っている偶像は偽の神ではないか」と自分に問うことができないのです。
ああ、イスラエルよ。 わたしが滅ぼしたなら、だれがあなたを救えよう。
ところが、悪いことばは悪い心から出てくるので、人を汚すのです。
人を汚すのです。しかし、食事の前に手を洗うという規則を破ったからといって汚れるわけではありません。」
それからイエスは、聖霊に導かれて荒野に出て行かれました。悪魔に試されるためでした。
しかし、だれでもみだらな思いで女性を見るなら、それだけでもう、心の中では姦淫したことになるのです。
罪は私をだましたのです。神の戒めを盾に取り、私を死罪に定めたのですから。
けれども、はたして納得できますか。私に死をもたらしたのは、ほかならぬ律法なのです。だとしたら、どうして律法が良いものでありえましょう。律法を利用して死罪をもたらしたのは、悪魔的なこの罪なのです。罪がどんなにずる賢く、恐ろしく、いまわしいものかわかるでしょう。自分の悪い目的のために、ぬけぬけと律法を利用するのですから。
古い邪悪な性質を捨て去りなさい。古い性質とは、以前のあなたがたのように肉欲に惑わされ、滅んでいくような生き方です。
まだ時間があるうちに、日々、互いにこのことを確かめ合いなさい。そうすれば、罪に惑わされて神に心を閉ざす人は一人も出ないでしょう。
悪に手を出しそうになった時、神から誘惑されたなどと言ってはなりません。神が悪を望まれるはずはありませんし、また、悪へ誘ったりするわけもないのです。
その欲や悪い考えが悪へと駆り立て、ついには、神から永遠に引き離される死の刑罰へと追いやるのです。