神の国のたとえを、もう一つ話しましょう。 ある農夫が畑に種をまいて、
悪いことをしてもうけた金はすぐになくなり、 正しいことをして得た報酬はいつまでも残ります。
しかし、風の状態が良くなるまで待っていたら、 何一つなすことはできません。
手を休めずに種をまきなさい。どの種が芽を出すか、わからないからです。もしかしたら、全部芽を出すかもしれません。
神はご自分の民に豊かな祝福を注ぎます。 どこに種をまいても作物は豊富に実り、 牛やろばは緑の牧場で草を食べるのです。
「あなたがたには神の国を理解することが許されていますが、ほかの人たちはそうではないからです。」イエスはこう答え、
イエスは、別のたとえ話もなさいました。「神の国は、自分の畑に良い種をまく農夫のようなものです。
またイエスは、こんなたとえも話されました。「天国は、畑にまいたからし種のようなものです。
さらに、こんなたとえも話されました。「神の国は、女の人がパンを焼くのにも似ています。小麦粉に、ほんの少しのパン種(パンの製造に使用する酵母)を入れるだけで、パン生地全体がふくらんできます。」
「悔い改めて、神に立ち返れ。神の国が近づいたからだ。」
その時から、イエスは宣教を始められました。「悔い改めて神に立ち返りなさい。神の国が近づいているから。」
持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているわずかな物さえ取り上げられてしまうのです。
家に帰りました。日がたつにつれて、別に何もしなくても、種はどんどん成長しました。
そこでイエスは、神の国について教え始められました。「神の国は何に似ているでしょう。どういうふうに説明したらいいでしょう。
さて、このたとえの意味を説明しましょう。種とは神の教えのことです。
「農夫が、種まきをしようと畑に出かけました。種をまいているうちに、ある種は道ばたに落ちて、踏みつけられ、そのうち鳥が来て食べてしまいました。
よく言っておきます。畑にまかれる一粒の麦のように、わたしも地に落ちて死ななければなりません。そうしなければ、いつまでたっても一人のまま、一粒の種のままです。しかし、死ねば多くの新しい実が生じ、新しいいのちが豊かに実を結ぶことになります。
また、偏見や偽善がありません。平和をつくる人は、平和の種をまいて、義の実を結ばせるのです。