メシヤ(救い主)のわたしには、安息日に何をしてよいかを決める権威もあるのです。」
安息日といえども、天から来たわたしの支配下にあるのですから。」
いいですか。安息日は人間のためにつくられたのであって、人間が安息日のためにつくられたのではありません。
カペナウムで、イエスがまた会堂に入られると、そこに片手の不自由な男がいました。
それから、敵対する者たちのほうを向いて言われました。「さあ、答えてください。安息日に良いことをするのと悪いことをするのと、どちらが正しいですか。安息日はいのちを救う日ですか、それとも殺す日ですか。」彼らは押し黙っていました。
また、こうも言われました。「わたしは安息日の主です。」
ところが、イエスはお答えになりました。「わたしの父は、絶えず良い働きをしておられます。わたしはその模範にならっているのです。」
ところで、この日は安息日でした。
パリサイ人のある者は、「そのイエスという者は、神から遣わされた者ではない。安息日に仕事なんかしたんだから」と断言しました。しかし、「罪人にすぎない普通の人間に、こんな奇跡が行えるだろうか……」と疑問を投げかける者もいます。意見は真っ二つに分かれました。
そして神は、すべてをキリストの足の下に従わせ、キリストを教会の最高のかしらとされました。
さて、ある主の日(日曜日)のことでした。私が礼拝をしていると、突然、うしろから大きな声が聞こえたのです。まるでラッパの響きのようで、