しかしイエスは、ひとこともお答えになりません。これにはピラトも驚き、あきれてしまいました。
あなたの強力な守りのおかげで、 私は人々が目をみはるほどの成功を収めたのです。
彼は痛めつけられ、苦しみ悩みました。 それでも、ひと言も語りませんでした。 子羊のようにおとなしくほふり場へ引いて行かれ、 毛を刈り取られる羊のように、 非難を浴びせる者たちの前に黙って立ちました。
私の名も、神が授けてくれた子どもたちの名も、 みな天の軍勢の主の計画を暗示しています。 イザヤというのは「神はご自分の民を救う」、 シェアル・ヤシュブは「残りの民が帰って来る」、 マヘル・シャラル・ハシュ・バズは 「敵はまもなく滅びる」という意味です。
聞け、大祭司ヨシュアとほかの祭司たちよ。あなたがたは、やがて起こる良いことのしるしとなる人たちだ。わからないか。ヨシュアは、わたしが遣わす若枝(メシヤ)、わたしのしもべを表している。
しかし、祭司長とユダヤ人の指導者たちからいろいろな訴えが出されている時は、口をつぐんで、何もお答えになりませんでした。
それでもイエスは何もお答えになりません。これには総督も、驚きあきれてしまいました。
これを聞いたピラトは、「どうして何も言わないのか。あんなにまで訴えているのに平気なのか」と尋ねました。
ヘロデはイエスを前にして、次から次へと質問をあびせました。ところがイエスは口をつぐみ、何一つ答えません。
もう一度イエスを官邸へ連れ戻し、尋ねました。「おまえはいったい、どこから来たのだ。」しかし、イエスはひとこともお答えになりません。
こんなイメージが浮かびます。神様は私たち使徒を、死罪の判決が下された捕虜のように凱旋行列の最後に引き出し、人々や天使の前で見せ物にされたのだ、と。