このイエスのことばに、その人は顔をくもらせ、悲しそうに帰って行きました。たいへんな金持ちだったからです。
彼らはもっともらしい顔をしてやって来る。そして、あなたの前に座って聞くだろう。だが、わたしの言うとおりにする気はさらさらない。口では、いかにも調子よく、わたしを愛しているようなことを言うが、心は金銭欲でいっぱいだ。
また、いばらの生い茂った地というのは、神のことばを聞いても、生活の苦労や金銭欲などがそれをふさいでしまい、しだいに神から離れていく人のことです。
青年はこれを聞くと、悲しそうに帰って行きました。たいへんな金持ちだったからです。
ところで、裏切り者のユダはどうなったでしょう。イエスに死刑の判決が下されると聞いてはじめて、彼は自分のしたことがどんなに大それたことだったか気づき、深く後悔しました。それで祭司長やユダヤ人の指導者たちのところに銀貨三十枚を返しに行き、
イエスは心から彼に同情して言われました。「あなたには、たった一つだけ欠けたところがあるのです。さあ、家に帰って財産を全部売り払い、そのお金を貧しい人たちに分けてあげなさい。そうすれば、天に宝をたくわえることになるのです。それから、わたしについて来なさい。」
そのうしろ姿をじっと見ていたイエスは、弟子たちのほうをふり返り、「金持ちが神の国に入るのは、実にむずかしいことです」と言われました。
ヘロデがヨハネを正しくきよい人物だと知って尊敬し、保護していたからです。ヘロデはヨハネと話をすると、決まって不安にかられましたが、それでも好んで聞いていました。
王は、困ったことになったと心を痛めましたが、誓ったことでもあり、また一同の手前もあって引っ込みがつきません。
続けてイエスは群衆に言われました。「貪欲にはくれぐれも注意しなさい。どんな金持ちでも、人のいのちは財産とは無関係なのですから。」
このイエスのことばに、その人は肩を落として立ち去りました。たいへんな金持ちだったからです。
神様は時々、罪を断ち切り、永遠のいのちを求めさせるために、私たちに悲しみを与えます。そのような悲しみを嘆いてはなりません。しかし、この世の人の悲しみは、真の悔い改めに導く悲しみではないので、永遠の死を食い止める力がありません。
もうよくご存じと思いますが、キリストと神との国に、汚れた人や貪欲な人は入ることができません。貪欲な人は偶像礼拝者であって、神よりもこの世のものを愛して拝んでいるのです。
デマスはこの世の楽しみに心を奪われ、私を捨て、テサロニケに行ってしまいました。クレスケンスはガラテヤへ、テトスはダルマテヤへ出かけ、私のもとに残ったのはルカだけです。こちらへは、マルコも連れて来てください。彼に頼みたいことがあるのです。