イエスにきびしく止められたにもかかわらず、男はうれしさを抑えきれず、この出来事を大声でふれ回って歩きました。そのため、イエスの回りにはみるみる人垣ができ、公然と町へ入れなくなりました。しかたなく町はずれにとどまっておられましたが、そこにも、人々が押しかけて来ました。
ずっと昔、主のなさった多くの奇跡を思い起こします。
賄賂を受け取った彼らは、言われたとおりに話しました。そのため、この話は広くユダヤ人の間に行き渡り、今でもそう信じられています。
このうわさはたちまち、その地方一帯に広まりました。
それでも彼らは、イエスのことを町中に言いふらしました。
イエスはまた湖畔に行き、集まって来た群衆にお教えになりました。
イエスが泊まっていた家に戻られると、群衆がまた集まって来ました。まもなく家の中は人でいっぱいになり、みなは食事をする暇もないほどでした。
一方、イエスと弟子たちは湖のほとりへ立ちのきましたが、それでも、ガリラヤ全地、ユダヤ、エルサレム、イドマヤばかりか、ヨルダン川の向こう岸、さらにツロやシドンといった遠方からも、たくさんの群衆がやって来て、あとについて行きました。イエスの奇跡の評判が広まるにつれ、「ひと目でいいからイエス様を見たい」と、人々が押しかけたのです。
イエスは群衆に、うわさを広めないようにと堅く口止めされましたが、そう言われれば言われるほど、人々はかえって言い広めました。
大ぜいの群衆が、どこまでもあとについて行きました。イエスが病人を治されるのを見たからです。人々の多くは、過越の祭りのため、エルサレムへ行く途中でした。イエスが丘に登り、弟子たちといっしょに腰をおろされると、大ぜいの群衆も追いかけるように、あとからあとから丘に登って来ます。その様子をながめながら、イエスはピリポにお尋ねになりました。「ピリポ。この人たち全員に食べさせるには、どこからパンを買って来たらいいでしょうか。」
こう言うのは、真理に従わない人が大ぜいいるからです。特に、「クリスチャンはみな、割礼を受けるべきだ」と主張する者たちは、その代表的な例だと言えます。これはまた、なんとばかげた議論でしょう。彼らは人の目をくらませて、真理を見いだすのを阻むのです。