イエスは心からかわいそうに思い、彼にさわって、「そうしてあげましょう。さあ、よくなりなさい」と言われました。
「光よ、輝き出よ。」神が言われると、光がさっとさしてきました。
主のおことばで、この世界は始まったからです。
このように、ご自分のところにやって来る群衆をごらんになって、イエスの心は深く痛みました。彼らは、かかえている問題が非常に大きいのに、どうしたらよいか、どこへ助けを求めたらよいかわからないのです。ちょうど、羊飼いのいない羊のようでした。
ある時、一人のツァラアト(皮膚が冒され、汚れているとされた当時の疾患)に冒された人がやって来て、イエスの前にひざまずき、熱心に頼みました。「お願いでございます。どうか私の体をもとどおりに治してください。先生のお気持ちひとつで治るのですから。」
するとたちまち、ツァラアトはあとかたもなくなり、完全に治ってしまいました。
イエスはゆっくり起き上がると、風をしかり、湖に「静まれ」と言われました。するとどうでしょう。たちまち風はやみ、湖は何事もなかったかのような大なぎになりました。
そして娘の手を取り、「さあ、起きなさい」と声をかけました。
舟から上がられたイエスの前には、おびただしい数の人々が集まっていました。まるで、羊飼いのいない羊のような群衆を見て、イエスは深くあわれみ、いろいろなことを教え始められました。
御子は神の栄光を受けて、まばゆいばかりに輝いています。また、その人格と行動すべてにおいて神であることを示し、力あることばによって万物を治めておられます。そればかりか、私たちのすべての罪の記録を消し去ってきよめるために死んでくださいました。そして今は、最高の栄誉を受けて、天におられる偉大な神のそばにいらっしゃるのです。
イエスは、あらゆる点で、兄弟である私たちと同じになることが必要だったのです。そうして初めて、イエスは、私たちにとってはあわれみ深く、神にとっては忠実な大祭司として、私たちの罪を取り除くことができたのです。
この大祭司は私たちと同じ試練に会われたので、人間の弱さをよく知っておられ、ただの一度も、誘惑に負けて罪を犯したことはありません。