「なんと罰あたりなことばだ! まるで、自分が神だと言っているようなものではないか。」ユダヤ教の指導者のある者は、腹の中が煮えくり返る思いでした。
しかし、イスラエル人でも在留外国人でも、故意に罪を犯した者は神を冒瀆する者で、殺されなければならない。
これを聞いた大祭司は、即座に着物を引き裂き、大声で叫びました。「冒瀆だ! 神を汚すことばだ! これだけ聞けば十分だ。さあ、みんなも聞いたとおりだ。
イエスの話し方が、どんなユダヤ人の指導者たちとも違っていたからです。
これは大切なことですから、はっきり言います。人が犯す罪は、どんな罪でも赦してもらえます。たとえ、わたしの父を汚すことばでも。
しかし、聖霊を汚す罪だけは、決して赦されません。それは永遠の罪なのです。」
肉欲、盗み、殺人、姦淫、
すると、「なんと罰あたりなことばだ! いったい自分をだれだと思ってるのか。明らかに神への冒瀆だ! 罪を赦すことなど、神にしかできないことなのに」と、パリサイ人や律法の専門家たちは、心の中で強く反発しました。