いいですか、皆さん。やがて、この人のような外国人がたくさん世界中からやって来て、神の国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに席に着くでしょう。
わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたをのろう者をのろう。アブラムによって、全世界が祝福されるのです。」
世界中の国々に祝福をもたらす。それはみな、あなたがわたしの言うことに従ったからだ。」
子孫は地のちりのように多くなり、東西南北、あらゆる方角に増え広がり、この地全体に住みつくだろう。あなたとあなたの子孫によって、世界中の国々が祝福される。
その王位はシロ(権威を持つ者、メシヤとも解される)が来る時まで続く。人々がみなシロに従うその時まで、ユダは安泰である。
それを目の当たりにした全世界の人々は、 主のもとに立ち返るでしょう。 あらゆる国民が主を礼拝するでしょう。
その日、エッサイの家から出て ダビデ王朝を開いたお方は、 全世界の人々の救いの旗となって翻ります。 この方のいる地は栄光のとどまる所となるので、 国々の民がこの方のもとへ集まります。
わたしの民は遠くから、あらゆる地から帰って来る。」
「あなたはイスラエルをわたしに立ち返らせる にとどまらず、国々の光となって、 諸国にまでわたしの救いをもたらす。」
すべての国々の目の前に、 主は聖なる御腕を現しました。 地の果ての人たちも私たちの神の救いを見ます。
そしてついに、人々は西から東に至るまで、 神の御名を敬い、あがめるようになります。 御口の息に押し流されるように、 神はやって来ます。
主よ。私の力、私の要塞、悩みの日の私の隠れ家よ。 世界中の民がみもとに来て、こう言うでしょう。 「私たちの先祖はほんとうに愚かでした。 少しも価値のない偶像を拝んでいたのです。
この王たちの時代に、天の神は、決して滅ぼされることのない一つの国を起こします。だれもこの国を征服できません。その国は、すべての国々を打ち砕いて滅ぼします。まさに永遠不滅の国なのです。
「わたしの名は、外国人の間で 朝から晩まであがめられるようになる。 世界中で人々がわたしの名をあがめ、 かぐわしい香りと、 きよいささげ物をささげるようになる。 国々の間で、わたしの名が大いに高められるからだ。」 主は言います。
「もちろん農園主は、その悪者どもを情け容赦なく殺して、きちんと小作料を納めるほかの農夫たちに貸すに違いありません。」
ラッパが高らかに鳴り響く中で、わたしは天使たちを遣わします。天使たちは、天と地の果てから果てまで行き巡り、選ばれた者たちを集めるのです。
「悔い改めて、神に立ち返れ。神の国が近づいたからだ。」
イエスはたいへん驚き、群衆のほうをふり向いて言われました。「これほど信仰深い人は、イスラエル中でも見たことがありません。
そのように忠実な姿を見られる人は幸いです。主人は感心して、食卓で、反対に自分のほうから給仕してくれるでしょう。
やがて彼は死にました。天使たちに連れられて行った先は、生前神を信じ、正しい生活を送った人たちのところでした。そこで、アブラハムのそばにいることになったのです。そのうち、あの金持ちも死んで葬られましたが、
ペテロに同行して来たユダヤ人のクリスチャンたちは、外国人にも聖霊の賜物が与えられたので驚きました。
ペテロの説明に、ユダヤ人たちの疑問は氷解しました。一同は、「神様は外国人にも、神に立ち返って永遠のいのちをいただく特権をお与えになったのだ」と、口々に神を賛美しました。
それぞれの町でクリスチャンたちに会い、ますます神を愛し、また互いに愛し合うように教え、どんな迫害にもくじけず、信仰にとどまり続けるようにと励ましました。そして、「神の国に入るには、いろいろ苦しい目に会わなければならない」と語りました。
二人はさっそく信者たちを集めて伝道旅行の報告をし、神が外国人にも信仰の門を開いてくださったことを話しました。
しかし、事実、キリストは死者の中から復活しました。そして、復活が約束されているすべての人の初穂(その年の収穫の最初の束)となられたのです。
こんな者が神の国を相続できないのは、当然ではありませんか。思い違いをしてはいけません。不道徳な生活をしている者、偶像を拝む者、姦淫する者や同性愛にふける者は、神の国を相続できません。どろぼう、貪欲な者、酒に酔う者、人をけなす者、強盗も同様です。
その特別の計画とは、神の子どもとされた者たちが、外国人もユダヤ人と共に、すべての救いの恩恵を受け継ぐということです。ユダヤ人も外国人も、共に神の教会の一員として招かれています。そして、キリストについての福音と、この方がなされたこととを受け入れる時、キリストによって大いに祝福するという神の約束に、両者ともあずかるのです。
そこでは、国籍、人種、教育、社会的地位の違いなどは全く問題ではありません。大切なのは、キリストをしっかりつかんでいるかどうかです。そして、キリストを自分のものにする機会は、だれにも平等に与えられているのです。
それは、あなたがたを神の国にふさわしい者と認める、神の裁定が正しいという証拠です。あなたがたは、この神の国のために苦しみを受けているのです。