これは、イザヤの預言が実現するためでした。
このことはみな、神が預言者(神に託されたことばを語る人)を通して語られた、次のことばが実現するためです。
そして、ヘロデ大王が死ぬまでそこに住みました。こうして、「わたしは、わたしの子をエジプトから呼び出した」(ホセア11・1)という預言者のことばが実現することになったのです。
ナザレという町に住みました。こうして、預言者がメシヤのことを、「彼はナザレ人と呼ばれる」と語ったとおりになったのです。
しかし、もし今そんなことをしたら、こうなると書いてある聖書のことばが実現しないではありませんか。」
いいですか、こうなったのはすべて、預言者たちのことばが実現するためです。」 この時、弟子たちはみな、イエスを見捨てて逃げ去りました。
まもなくゼブルンとナフタリに近い、ガリラヤ湖畔のカペナウムに移られました。
「ゼブルンとナフタリの地、海沿いの道、 ヨルダン川の向こう岸、 多くの外国人が住んでいる北ガリラヤ。 そこで暗闇の中にうずくまっていた人たちは、 大きな光を見た。 死の陰の地に座っていた彼らの上に、 光が差した。」(イザヤ9・1―2)
こうして、イエスについてイザヤが、「彼は、私たちの痛みを身に引き受け、私たちの病を負った」(イザヤ53・4)と預言したとおりになったのです。
『彼は罪人の一人に数えられた』(イザヤ53・12)という預言どおりのことが、わたしに起こるのです。わたしについて言われたことは、必ずそのとおりになるのです。」
イエスは言われました。「以前、いっしょにいた時、モーセや預言者の書いたこと、それに聖書の詩篇にあることは、必ずそのとおりになると話して聞かせたはずです。忘れてしまったのですか。」
こうして、『彼らは理由もなしにわたしを憎んだ』(詩篇35・19、69・4)というメシヤについての預言は、そのとおり実現しました。
こうして、何もかもすっかり終わったことを知ったイエスは、「わたしは渇く」と言われました。これも聖書のことばどおりの出来事です。