神にそむく生活を送っていたことを全面的に認め、それを言い表した人たちに、ヨハネはヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を授けました。
ふと気がつくと、神殿の前にひれ伏して涙ながらに祈り、告白をしている私エズラの回りを、男や女、子どもまでもが幾重にも取り囲み、いっしょに泣いていました。
とうとう私は、自分の罪を 神の前にさらけ出さざるをえませんでした。 「何もかも主にお話ししよう」と決心したのです。 すると、あなたは赦してくださいました。 私の罪は跡形もなく消えたのです。
自分の誤りを認めない者は成功しませんが、 素直に認め、直そうとする人には、 別のチャンスが転がり込みます。
その時、あなたがたは、きれいな水を浴びたようになり、汚れがすっかりきよめられ、偶像礼拝も行われなくなる。
その頭に両手を置き、民の犯した罪をすべて告白する。すべての罪をやぎの頭に載せ、特別その仕事に任じられた者が荒野に放つ。
しかし最後には、自分たちの裏切りを認める。苦しい思いをするのも、元はと言えばわたしに反抗したからだ。それで、わたしも黙ってはおらず、あなたがたを敵の手に渡した。だが、みなが悪かったと反省し、素直に罰を受けるなら、
罪を告白し、全額を被害者に弁償したうえで、さらに盗んだ額の二割を加えて支払わなければならない。
私は今、罪を悔い改める者たちに水でバプテスマを授けている。しかし、まもなく私など比べものにもならない、はるかに偉大な方がおいでになる。その方のしもべとなる価値さえ、私にはない。その方は、聖霊と火でバプテスマをお授けになり、
このヨハネのことばを聞こうと、エルサレムばかりか、ユダヤ全国からおびただしい数の人たちが詰めかけ、次々と今までの自分の悪い思いや行いを神に告白しました。ヨハネはそういう人たちに、ヨルダン川でバプテスマを授けていたのです。
やがて多くのユダヤ人を神に立ち返らせるのです。
この疑問を、ヨハネはきっぱり否定しました。「私は水でバプテスマを授けているだけだ。しかし、もうすぐ私よりはるかに権威ある方が来られる。その方のしもべとなる価値さえ、私にはない。その方は、聖霊と火でバプテスマをお授けになる。
バプテスマのヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けましたが、もうすぐ、あなたがたは聖霊によるバプテスマを受けるからです。」
その時、私は、『ヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを授けられる』と言われた主のことばを思い出したのです。
それまで魔術を行っていた信者たちも、そのことを告白し、呪文の本やお札を持って来て積み上げ、みんなの見ている前で焼き捨てました。ざっと見積もっても、銀貨五万枚にはなりそうな量でした。
さあ、何をためらっているのです。お立ちなさい。主の名を呼んでバプテスマ(洗礼)を受け、罪をすっかり洗いきよめていただくのです。』
これは、彼らの「バプテスマ」であったとみなしてよいでしょう。彼らは、モーセに従う者として――すなわち、指導者であるモーセにすべてを任せて――海と雲によってバプテスマを受けたのです。
ですから、古い性質はキリストと共に死に、共に葬られたのです。そして、キリストを死者の中から復活させた、力ある神のことばを信じたあなたがたは、キリストと共に、新しいいのちへと復活させていただいたのです。
バプテスマ(洗礼)、聖霊を受けること、死者の復活、永遠のさばきについても、これ以上教えられる必要はないでしょう。
古い制度は、もっとすぐれた新しい制度が用意されるまで課せられた、飲み食いや体の洗いきよめなどの体に関する規定にすぎません。
ですから、互いに罪を告白し、祈り合いなさい。正しい人の祈りは大きな力があり、驚くほどの効果があります。
ヨシュアはアカンにただしました。「わが子よ。イスラエルの神に栄光を帰し、ほんとうのことを白状しなさい。さあ、何をしたか、包み隠さず話しなさい。」
〔これは、バプテスマ(洗礼)を指し示しています。私たちの受けるバプテスマは、キリストの復活による、死と滅びからの救いを意味します。それは、体の汚れを洗いきよめるものではなく、神に立ち返った私たちの心が罪からきよめられるものです。〕
しかし、もし自らの罪を神に告白するなら、神は真実な方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。