ところが、ヨハネはそうさせまいとして言いました。「とんでもないことです。私こそ、あなたからバプテスマを受けなければなりませんのに。」
そのころイエスは、ガリラヤからヨルダン川へ来て、ヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けようとされました。
しかしイエスは、「今はそうさせてもらいたい。なすべきことは、すべてしなければならないのです」とお答えになり、ヨハネからバプテスマを受けました。
主のお母様がおいでくださるとは光栄です。
この方の恵みは尽きることがありません。私たちはみな、次から次へと、あふれるばかりに恵みをいただきました。
愛する皆さん。私がこれまでに何度も、あなたがたのところへ行こうとしたことをぜひ知っていただきたいのです。ほかの国の諸教会と同じように、あなたがたのところでも成果を得たいと思ったのです。しかし、その計画は妨げられてきました。
すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です。
神はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪に対する償いをさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。神は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とを用いられました。たとえ、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神は完全に公正であられるのです。キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神は待ち望んでおられました。
聖書は、私たちはみな、その罪の力に閉じ込められていると宣告しています。そこから解放されるには、イエス・キリストを信じる信仰による以外にないのです。この罪からの脱出の道は、キリストを信じるすべての人に開かれています。
このように神様は、私たちの心に、神の子の御霊を送ってくださいました。それで今、私たちは神の子どもとして、神を「お父さん」とお呼びできるのです。
古い契約のもとでは、大ぜいの祭司が必要でした。祭司が年老いて死ぬと、跡継ぎを立てて祭司を絶やさないようにしました。