すると彼らは、こんなふうに抗議するでしょう。『王様。私たちがいったいいつ、あなたが空腹だったり、のどが渇いていたり、旅人だったり、裸だったり、病気だったり、牢獄におられたりするのを見て、お世話しなかったとおっしゃるのですか。』
「それでもなお、そんなはずはない、 偶像を拝んだ覚えなどない、と言いはるのか。 なぜ、そんなことが言えるのか。 試しに、この国のどの谷へでも行ってみよ。 必死に雄を探し求める雌のらくだよ、 おまえの犯した恐ろしい罪を直視せよ。
しかも、そのあとは口をぬぐい、 『神を怒らせることなど、何もしていない。 神が腹を立てるわけがない』としらを切る。 『罪を犯していない』と、あくまでもしらを切るので、 わたしはおまえたちをきびしく罰する。
「子は父を敬い、召使は主人を敬うものだ。 わたしはあなたがたの父であり、また主人なのに、 あなたがたはわたしを少しも敬わない。 ああ、祭司たちよ、 あなたがたはわたしの名をさげすんでいる。」 「私たちがあなたを? いつあなたの名をさげすんだというのですか。」
あなたがたは、自分のことばで主を煩わしたのです。 「主を煩わしたですって? どのようにして?」 あなたがたはそう言って、わざと驚いてみせます。 あなたがたはこう言ったのです。 「悪を行うのはいいことだ。主は喜んでいる。」 また、こうも言いました。 「神は私たちを罰しない。気にも留めていない。」
あなたがたのわたしに対する態度は、 なんと高慢で横柄なことか。」 と主は言います。 「ところが、あなたがたは言う。 『何のことでしょう。 言ってはならないことを言ったでしょうか。』
もし預言者を、神から遣わされた預言者だというので受け入れるなら、預言者と同じ報いを受けるでしょう。また、神を敬う正しい人たちを、彼らが神を敬うというので受け入れるなら、彼らと同じ報いを受けます。
旅人だった時にも、もてなそうとはしませんでした。また、わたしが裸の時にも着物一枚くれるわけでなく、病気の時にも、牢獄にいた時にも知らん顔をしていたではありませんか。』
そこで、わたしはこう言います。『あなたがたが、これらの一番小さい者たちを助けようとしなかったのは、わたしを助けなかったのと同じです。』
神の前に、正しく良い者になりたいと心から願っている人は幸いです。そういう人の願いは完全にかなえられるからです。
最後の審判の時、多くの人が弁解するでしょう。『主よ、主よ。私たちは熱心に伝道しました。あなたのお名前を使って悪霊を追い出し、すばらしい奇跡を何度も行ったではありませんか。』
しかし律法の専門家は、自分がある人々を愛していないことを正当化しようと、「隣人とはだれのことですか?」と聞き返しました。