ダビデがキリストを『主』と呼んでいるのなら、キリストが、ただのダビデの子であるわけはありません。」
『神が私の主に言われた。 「わたしがあなたの敵を あなたの足の下に置くまで、 わたしの右に座っていなさい。」』(詩篇11・1)
これには、返すことばもありませんでした。その日以来、だれも、あえてイエスに質問しようとする者はいませんでした。
「アブラハムが生まれるずっと前から、わたしはいるのです。これは、まぎれもない事実です。」
彼らの先祖には、神を信じる偉大な人物がいます。キリストも、人間としての出生についてだけ言えばユダヤ人であり、彼らの同胞だったのです。このキリストこそ、すべてのものを支配しておられる方で、永遠にほめたたえられる神です。
敬虔を保つことは、決してなまやさしいものではありませんが、その秘訣はキリストのうちにあるのです。 「キリストは人として地上に来られ、 その霊は汚れなく、 きよらかであることが証明され、 天使たちに仕えられ、 諸国民の間に宣べ伝えられ、 至る所で信じられ、 再び栄光のうちに天に引き上げられたのです。」
神の子どもである私たちは、血も肉もある人間です。そこでイエスも、血肉を持った人間の姿でお生まれになりました。それは人間として死ぬことにより、死の権力をふるう悪魔の力を打ち砕くためです。
「わたしイエスは、これらすべてを諸教会に知らせるため、あなたがたに使者を送りました。わたしはダビデの根であり、その子孫です。また、ひときわ輝く明けの明星です。」