『礼服もつけずに、どうしてここへ入って来たのか』と尋ねましたが、その男は何とも返事をしません。
こうして、貧しい者は希望を見いだし、 悪者の牙はへし折られる。
正しい人々はそれを見て喝采を送り、 悪者どもは貝のように堅く口を閉ざさざるをえません。
「それでもなお、そんなはずはない、 偶像を拝んだ覚えなどない、と言いはるのか。 なぜ、そんなことが言えるのか。 試しに、この国のどの谷へでも行ってみよ。 必死に雄を探し求める雌のらくだよ、 おまえの犯した恐ろしい罪を直視せよ。
イスラエルは、 捕まることだけを恥と考えているどろぼうのようだ。 王、指導者、祭司、それに預言者も、 みな同じだ。 彼らは木彫りの像を父と呼び、 石細工の偶像を母と呼ぶ。 ところが、いざ困ったことが起こると、 助けてくださいと、わたしに泣きつく。
ところが、農園主はその一人に答えました。『いいかね。私はあなたに何も悪いことはしていない。あなたは一日一デナリで働くことを承知したはずだ。
イエスが、「ユダよ。さあ、おまえのしようとしていることをしなさい」と言われた瞬間、人々は飛びかかり、イエスを捕らえました。
よく聞きなさい。パリサイ人や、ユダヤ人の指導者たちは、神のおきてを守っているのは自分たちだと言いはります。だが、彼ら以上に正しくなければ天国には入れません。
そういうわけで、律法がユダヤ人に重くのしかかっています。なぜなら、彼らは律法を守る責任があるのに守らず、こうした悪にふけっているからです。彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。事実、全世界が全能の神の前に沈黙して立ち、罪の宣告を受けているのです。
ですから、主がまだここにお帰りにならないうちから、何についても性急に結論を下すことがないように注意しなさい。主が来られる時、すべては明るみに出されます。一人一人の心の奥底までが見通され、ありのままの姿がはっきり見えるようになります。その時、一人一人が、ふさわしい賞賛を神から受けるのです。
そのような人は心が曲がっていて、悪いとわかっていながら、罪を犯しているのです。
主は信仰者を守られます。 しかし、悪者は暗闇に葬り去られます。 だれも自力でははい上がれません。