ところがイエスは、「あなたには、何もわかっていません」と答え、今度は、ヤコブとヨハネのほうをごらんになりました。「あなたがたは、わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」「はい。できます。」イエスの質問に、二人はきっぱり答えました。
地が揺れ動き、人々が大混乱に巻き込まれても、 地の柱は揺るがない。 それは、わたしが据えつけたものだからだ。
プライドが高すぎると身を滅ぼし、 高慢は失敗を招きます。
エルサレムよ、目を覚ましなさい。 あなたはもう十分に、神の憤りの杯を飲み干しました。 恐怖の杯を最後の一滴まで飲みました。
ご自分の民をかばうあなたの神、主は告げます。 「さあ、あなたの手から恐ろしい杯を取り上げよう。 もう二度とわたしの怒りを飲まなくてよい。 それは過ぎ去った。
主はエドムに言います。「罪のない者さえ苦しむとしたら、おまえは、どれほど苦しまなければならないことか。罰を受けずにすむはずはない。どうしても、このさばきの杯を飲まなければならない。
しかしペテロは、「死んでも、あなたを知らないなどとは申しません」と言い、ほかの弟子たちも、口々に同じことを言いました。
三人にこう頼むと、イエスは少し離れた所に行き、地面にひれ伏して必死に祈られました。「父よ。もしできることなら、この杯を取り除いてください。しかし、わたしの思いどおりにではなく、あなたのお心のままになさってください!」
こうしてまたイエスは、彼らから離れて、祈られました。「父よ。もし、この杯を飲みほさなければならないのでしたら、どうぞ、あなたのお心のままになさってください。」
いいですか、こうなったのはすべて、預言者たちのことばが実現するためです。」 この時、弟子たちはみな、イエスを見捨てて逃げ去りました。
「父よ、わたしの父よ。あなたはどんなことでもおできになります。どうぞ、この杯を取り除いてください。しかし、わたしの思いどおりにではなく、あなたのお心のままになさってください。」
しかし、わたしには受けるべきバプテスマ(洗礼)が待っています。それが成し遂げられるまで、どんなに苦しむことでしょう。
しかし、イエスはペテロをたしなめて、「剣をさやに納めなさい。父が下さった杯は飲まなければならないのです」と言われました。
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどのように祈ったらよいかさえわからないのですが、御霊は、ことばに表せないほどの深い同情と理解をもって、とりなしてくださるのです。
いくら願い求めても手に入らないのは、その目的や動機がまちがっているからです。自分を楽しませることのみ求めているからです。