彼はすばらしい価値のある真珠を見つけると、持ち物全部を売り払ってでも、それを手に入れようとするのです。
ユダのためには、あふれんばかりの救いが、 知恵と知識、それに神への尊敬とともに、 安全な場所に用意されています。
神の国は、ある人が畑の中で見つけた宝のようなものです。見つけた人はもう大喜びで、だれにも知らせず、全財産をはたいてその畑を買い、宝を手に入れるに違いありません。
また神の国は、良質の真珠を探している宝石商のようなものです。
また神の国は、漁師にたとえることもできます。漁師は、いろいろな魚でいっぱいになった網を引き上げると、岸辺に座り込んで網の中の魚をより分けます。食べられるものはかごに入れて、食べられないものは捨てるというふうに。
しかし、主イエスがしなさいと言われた務めをやり遂げるためなら、こんな取るに足らぬ命でも、喜んで投げ出す覚悟はできています。その務めとは、神の恵みの福音を伝えることです。
しかし私は、主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものなど何もありません。十字架によって、私は、この世のものすべてに対して興味を失ってしまいました。この世も、私に対する興味をすっかり失ってしまったのです。
私はそのような資格の全くない者で、クリスチャンの中で最も役立たずの人間です。それにもかかわらず、キリストのうちにある無限の富が外国人にも与えられるという計画を伝える者として、こんな私が選ばれたのです。
このキリストのうちには、まだ私たちの知らない知恵と知識の宝がすべて隠されているのです。
商品とは、金、銀、宝石、真珠、上等の麻布、紫布、絹、緋色(真紅)の布、種々の香木、象牙細工、高価な木彫り、青銅、鉄、大理石、
十二の門は、それぞれ一つの大きな真珠でできていました。大通りは、ガラスのように透き通る純金でした。