畑とはこの世界、良い麦の種というのは天国に属する人々、毒麦とは悪魔に属する人々のことです。
これからのち、おまえと女は敵対するようになる。おまえの子孫と女の子孫も同じだ。女はおまえを恐れるだろう。子孫同士も、互いに相手を敵視するようになる。おまえは彼(キリストを暗示する)のかかとにかみついて傷を負わせるが、彼に頭を踏み砕かれてしまうのだ。」
私たちの子どもも主に仕えます。 私たちが、主のすばらしさを語り伝えるからです。
彼を傷つけ、悲しみで満たすのは、 主の計画だったのです。 罪の赦しのためのささげ物として、 そのたましいをささげるとき、 彼は多くの子孫を見ることができます。 彼は復活し、 神の計画は彼の手によって成し遂げられます。
その時わたしはイスラエル人という種をまき、 自分自身のためにそれを育てる。 『あわれみをかけられなかった』者たちをあわれみ、 『わたしの民ではない』者たちに、 『今、おまえたちはわたしの民だ』と言おう。 すると彼らは、『あなたこそ私たちの神です』 と答える。」
最初の道ばたというのは、踏み固められた土のことで、御国についてのすばらしい知らせを耳にしながら、それを理解しようとしない人の心を表しています。こういう人だと、悪魔がさっそくやって来て、その心から、まかれた種を奪い取っていくのです。
そして、御国についてのすばらしい知らせが全世界に宣べ伝えられ、すべての国民がそれを耳にします。それから、ほんとうの終わりが来るのです。
だから、『はい、そうします』か、『いいえ、そうしません』とだけ言いなさい。それで十分です。誓いを立てることで約束を信じてもらおうとするのは、悪いことです。
ところが、神の国はもともとイスラエル人のために準備されたのに、多くのイスラエル人が入りそこねて、外の暗闇に放り出され、泣いてくやしがることになるのです。」
悔い改めてわたしのもとに立ち返る人は、だれでも罪が赦されます。この救いの知らせは、エルサレムから始まり、世界中に伝えられるのです。
よく言っておきます。畑にまかれる一粒の麦のように、わたしも地に落ちて死ななければなりません。そうしなければ、いつまでたっても一人のまま、一粒の種のままです。しかし、死ねば多くの新しい実が生じ、新しいいのちが豊かに実を結ぶことになります。
あなたがたの父は悪魔です。悪魔の子が悪魔の悪い行いを喜んでまねても、不思議ではありません。悪魔は初めから人殺しで、真理をきらっています。悪魔のうちには真理の一かけらもありません。悪魔がうそをつくのは当然です。うそつきの大もとなのですから。
「悪魔の子、ぺてん師め! おまえのように悪事にたけた者は、正義の敵だ。どこまで主に反抗するつもりか。
しかし、ユダヤ人はどうなのでしょうか。彼らは神のことばを聞いたのでしょうか。もちろんです。神のことばは、彼らをどこまでも追いかけ、地の果てまでも告げ知らされたのですから。
私たちは神の子どもですから、神の相続財産を受けるのです。神がひとり子イエスにお与えになったものは、今では私たちのものでもあるのです。私たちが神の子の栄光を共に受けるのなら、当然、その苦難をも共に受けなければなりません。
今ではこの同じ福音が世界中に広まり、至る所で人々の人生が変えられています。ちょうど、あなたがたが初めて福音を聞いた日に、罪人に対する神の豊かな恵みを真に理解して、人生が全く変えられたように。
神は御心のままに、真理のことばによって、私たちに新しいいのちを与えてくださいました。こうして私たちは、神の新しい家族の最初の子どもとされたのです。
皆さん、よく聞いてください。神は貧しい人を選んで、豊かな信仰を持つ者としてくださいました。神の国は、そういう人のものです。神の国は、神を愛する者に約束されたものだからです。
あなたがたの新しいいのちは、両親から受けた、やがて朽ち果てるいのちではなく、朽ちることのないいのちです。このいのちは、いつまでも変わらずに生きて働く神のことばによるのです。
愛する人たち。私たちは、もうすでに神の子どもなのです。これから先のことは想像もつきませんが、ただこの一事だけはわかっています。つまり、キリストが再び来られる時、私たちはキリストに似た者となるということです。その時、キリストのありのままの姿を見るからです。
また私は、もう一人の天使が天を飛ぶ姿を見ました。天使は、地上のあらゆる民族、部族、国語の人々に、永遠の福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)を運んでいるところでした。