『結婚式ごっこをして遊ぼうと言ったのに、ちっともうれしがってくれなかった。だから葬式ごっこにしたのに、今度は悲しがってくれなかった。』
やがてヨルダン川を越え、ゴレン・ハアタデ〔「アタデの打ち場」の意〕まで来ました。ひとまずそこで、おごそかな葬式を行い、七日間、ヨセフの父の死を追悼しました。
彼らはソロモンのあとに従ってエルサレムへ帰って来ましたが、その道中は喜び祝う歌声に満ちあふれました。
しかし神の民は、聖なる祭りの晩のように、 心をこめて喜びの歌を歌います。 巡礼の一団が笛の音に合わせて、 イスラエルの岩である主の山へ 登って行くときのように、心をはずませます。
イスラエルのおとめよ。 わたしは、おまえの国を再建する。 おまえは以前のように幸せになり、 タンバリンをたたいて陽気に踊る。
あなたがたイスラエル人のことを、何と言えばいいでしょう。まるで小さな子どものようです。あなたがたは友達同士で遊びながら、こう責めているのです。
つまり、バプテスマのヨハネが酒も飲まず、また何度も断食していると、『あいつは気が変になっている』とけなし、
するとイエスは、こうお話しになりました。「花婿の友達は、花婿がいっしょにいる間は、嘆き悲しんだり食事をしなかったりするでしょうか。しかし、やがて花婿のわたしが、彼らから引き離される日が来ます。その時こそ彼らは断食することになるでしょう。
さて、イエスが会堂管理人の家に着くと、人々であふれ返り、弔いの音楽が聞こえてきます。
ところで、兄のほうはどうだったでしょう。彼は、その日も畑で働いていました。家に戻ってみると、何やら楽しげな踊りの音楽が聞こえます。
大ぜいの民衆や、イエスのことを悲しむ女たちがあとからついて行きます。
まるで遊び友達に文句を言っている子どものようです。『結婚式ごっこをしようって言ったのに、ちっともうれしがってくれないし、それで葬式ごっこにしたら、今度はぜんぜん悲しがってくれない』と嘆くのです。
家の中では、みな泣き悲しんでいました。「もう泣くのはやめなさい。娘さんは死んだのではありません。ただ眠っているだけです。」