エフライムは自慢しています。 「私はこんなに金持ちになった。 すべて自分でもうけたのだ。」 しかし、富に罪を償うことはできません。
彼らは金に信頼し、 財産を誇っています。
「あれが、神をあなどり、富に望みを置き、 ますます大胆に悪事を働いた者の末路だ。」
搾取と強奪によって財産を増やしてはいけません。 金持ちだからといって、尊大になってはいけません。
主は人をだます者を憎み、正直な人を愛します。
わからないことがもう一つあります。 どうして悪い女は、悪いことをしながら厚かましく、 「いったい、どこがいけないの」と言えるのでしょう。
「それでもなお、そんなはずはない、 偶像を拝んだ覚えなどない、と言いはるのか。 なぜ、そんなことが言えるのか。 試しに、この国のどの谷へでも行ってみよ。 必死に雄を探し求める雌のらくだよ、 おまえの犯した恐ろしい罪を直視せよ。
しかも、そのあとは口をぬぐい、 『神を怒らせることなど、何もしていない。 神が腹を立てるわけがない』としらを切る。 『罪を犯していない』と、あくまでもしらを切るので、 わたしはおまえたちをきびしく罰する。
彼らの家は、鶏がいっぱいいる鳥小屋のように、 悪だくみであふれ返る。 その結果はどうなっただろうか。 今彼らは名を上げて、金持ちになり、
そう、おまえの知恵がおまえを大金持ちにし、 高慢にしたのだ。」
だが、あなたは食べて満足すると、高慢になり、 わたしを忘れてしまった。
イスラエルよ、あなたの神、主のところに帰りなさい。 あなたは自分の罪によってたたきのめされたのだから。
祭司は民の罪を喜び、それをむさぼり食い、 もっと欲しいと舌なめずりする。
あなたがたは、安息日や新月の祭りが 早く終わることをひたすら願っています。 そうすれば、重くした量りと短くした物差しで、 ごまかして儲けることができるから。
そうならば、彼らはその網を拝み、 その前で香をたいて、 「これが、われわれを豊かにしてくれる神々だ」 と言うでしょう。
これは、わたしの民の姿を表している。彼らは悪い指導者たちに買われて殺されているが、指導者は罰せられない。民を裏切った者たちは、『神よ、ありがとうございます。おかげで裕福になりました』と言う。羊飼いが惜しみなく民を売り飛ばしたからだ。
あなたがたは、自分のことばで主を煩わしたのです。 「主を煩わしたですって? どのようにして?」 あなたがたはそう言って、わざと驚いてみせます。 あなたがたはこう言ったのです。 「悪を行うのはいいことだ。主は喜んでいる。」 また、こうも言いました。 「神は私たちを罰しない。気にも留めていない。」
あなたがたのわたしに対する態度は、 なんと高慢で横柄なことか。」 と主は言います。 「ところが、あなたがたは言う。 『何のことでしょう。 言ってはならないことを言ったでしょうか。』
しかし律法の専門家は、自分がある人々を愛していないことを正当化しようと、「隣人とはだれのことですか?」と聞き返しました。
ひとり満足した金持ちは、われとわが身に言い聞かせたのです。『もう何も心配はいらないぞ。これから先何年分もの食料がたっぷりある。さあ、食べて、飲んで、楽しくやろう。』
だれも、二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方に忠実であるか、あるいは、一方を重んじて他方は軽んじるようになるからです。神と富の両方に仕えることはできないのです。」
そんな彼らに、イエスはおっしゃいました。「あなたがたは、人前ではいかにも上品でうやうやしい態度をとっています。しかし神は、あなたがたの悪い心をお見通しです。いくら人の目をごまかし、賞賛を受けても、神には憎まれるのです。
そんなやり方をなさったのにはわけがあります。そこまでしなければ、あなたがたは自分の力で豊かになったと思い込むでしょう。
テモテよ。富んでいる人には、高慢にならないように、そして、すぐになくなるお金に望みをかけないように教えなさい。また、必要なものをいっさい備えて、私たちの人生を楽しませてくださる生ける神を誇りとし、この方だけを信頼するように忠告しなさい。
こうして議論に明け暮れ、心が罪にゆがんでいる人々は、真理をどう表現すればよいかを知りません。彼らにとって、真理とは、金もうけの手段にすぎないのです。そんな人たちから遠ざかりなさい。
あなたは、『私は金持ちだ。ほしいものは何でも手に入るし、もうこれ以上望むものはない』とうそぶいています。しかし、そんなあなたは、ほんとうにあわれで、みじめで、貧しくて、盲目で、おまけに裸同然であることに気づいていないのです。