イスラエルの民よ。 それもみな、 あなたたちの罪悪があまりにもひどいからだ。 ある朝、イスラエルの王は滅ぼされる。
それで、戦争の恐怖が民の中に起こり、 シャレマンがベテ・アレベルを破壊したように、 あなたたちの要塞はみなくずされる。 母親も子どもも、その場で一気に殺される。
その時、彼らは言います。 「私たちが主を捨てたので、 主は王を取り去ってしまった。 でも、だからどうだというのだ。 王などいらない。」
サマリヤの住民は、 ベテ・アベンの子牛像が傷つけられないだろうかと 震えおののきます。 祭司と民も、 打ち砕かれた神々の失われた名誉のために嘆きます。
サマリヤの王は、 大海の波間にただよう木切れのように消えうせます。
イスラエルが子どものころ、 わたしは彼を息子のように愛し、 エジプトから連れ出した。
けれども、はたして納得できますか。私に死をもたらしたのは、ほかならぬ律法なのです。だとしたら、どうして律法が良いものでありえましょう。律法を利用して死罪をもたらしたのは、悪魔的なこの罪なのです。罪がどんなにずる賢く、恐ろしく、いまわしいものかわかるでしょう。自分の悪い目的のために、ぬけぬけと律法を利用するのですから。