私の生涯も残り少なくなったことを、主イエス・キリストから示されています。それで、この世にいる間に、これらの注意書きを送ろうと決心したのです。
私のいのちは、羊飼いの天幕のように 風で吹き飛ばされ、機を織る人が中途で 手を止めるように中断された。 私のいのちは、たった一日で消えていく。
そして、主は神殿再建の願いを彼らに起こさせたので、彼らはダリヨス王の治世第二年の第六の月の二十四日にみな集まり、進んで仕事に取りかかりました。
ですから、少しも恐れません。むしろ、死ぬことは願わしいのです。それは、天の家に主と共に住むことを意味するからです。
こう考えるのは、きわめて当然です。あなたがたは、私にとって特別な存在なのですから。私が獄中にある時も、自由の身でキリストの福音を語っている時も、あなたがたは、私と共に神の祝福をいただいたからです。
私は今、ほかのことはいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。つまり、真にキリストを知ること、キリストを復活させた力を、この身をもって体験すること、そして、キリストと共に苦しみ、また死ぬとはどういうことかを知ることです。
ですから、お願いしたいのです。私があなたの頭に手を置いて祈った時、あなたのうちに注ぎ込まれた力と勇気を、もう一度、奮い起こしなさい。
獄中にある人たちのことを忘れてはいけません。その境遇を思って、苦しみを共に分け合いなさい。また、しいたげられている人たちの悲しみを思いやりなさい。あなたがたは、その苦しみがどんなものか経験ずみなのですから。
もちろん、こんなことは、すでによくわかっていることでしょうが、それでもなお、私はあなたがたに、いつもこれらのことを思い起こしてもらいたいのです。
愛する皆さん。これは二通目の手紙です。私はこの二通の手紙で、あなたがたがすでに知っている事柄を、もう一度思い起こしてもらおうとしているのです。それは、昔の聖なる預言者たちが語ったことば、また使徒たちが伝えた、主であり救い主である方のことばです。