聖書にこう書いてあります。「見よ。わたしは一つの石(キリスト)を(教会の)尊い土台石とするために選び、遣わした。彼に信頼する者は、決して失望しない。」(イザヤ28・16)
だが、力あるヤコブの神、イスラエルを守る羊飼い、また岩である方のおかげで、みごと敵を打ち負かした。
いのちをつけねらう者どもをかき乱し、 追い払ってください。 あざける者たちをいやと言うほど痛めつけ、 恥を見させてやってください。
神は幻の中で、預言者にこう告げました。 「わたしは国民の中から、 一人のすぐれた若者を選んで王とした。
しかし、神である主のことばは違います。 「わたしはシオンに土台石を置く。 それは試験ずみの、かけがえのない隅の親石で、 どんな重さにも耐える。 信じる者は二度と逃げなくてもよい。
いきりたつ敵はみな、無残に踏みにじられる。 あなたに刃向かう者はみな死に絶える。
わたしの支えるしもべ、 わたしの喜びとする選ばれた者に目を留めよ。 わたしは彼に、わたしの霊を与えた。 彼は世界の国々に正義を示す。
わたしはあなたがたを救う。 遠い将来ではなく、今すぐに。 すでにあなたがたを救う準備は整った。 わたしは、わたしの栄光である エルサレムとイスラエルを再建する。
主の助けがあるので、 うろたえたり、気を落としたりしません。 固く心に勝利を収めると確信しています。
恐れてはいけない。 あなたは二度と辱めを受けない。 若いころの恥も、やもめの時代の悲哀も、 永久に思い出さない。
彼らの中から礎石が、 すべての望みがその上にかかる杭が、 戦いを勝利に導く弓が、 全地の支配者が出て来る。
「わたしのしもべを見よ。 彼こそわたしの選んだ者。 わたしが喜ぶ、わたしの愛する者。 わたしは彼の上にわたしの霊を置き、 彼は国々をさばく。
あなたがたは、聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのですか。 『建築士たちの捨てた石が、 最も重要な土台石となった。
しかしイエスは、人々の顔を見回しながら、おっしゃいました。「では、聖書に、 『建築士たちの捨てた石が、 最も重要な土台石となった』(詩篇118・22) と書いてあるのは、どういう意味ですか。」
民衆はそばに立ってながめていました。一方、ユダヤ人の指導者たちもイエスをあざけり、「他人ばかり助けて、このざまは何だ。ほんとうに神に選ばれたメシヤなら、自分を救ってみろ!」と言いました。
わたしを信じれば、心の奥底からいのちの水の川が流れ出ると、聖書に語られているとおりです。」
「皆さん。イエスを捕らえた暴徒どもの手引きをしたユダには、聖書のことばどおりのことが起こりました。そうならなければならなかったのです。ずっと昔、聖霊によって、ダビデ王が預言したことだからです。
聖書は私たちに、「主キリストを信じる者は、決して失望させられることがない」と教えています。
神はこの世界をお造りになる前から、私たちを、ご自分のものとして選んでくださいました。そして、神は私たちを、ご自分の目から見て、何一つ欠点のない、きよい者にしようとお定めになりました。
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、この建物の最も重要な礎石はキリスト・イエスです。
神の霊感によって書かれた聖書は、何が真理であり、何が悪であるかをよく教えてくれます。また、私たちの生活をまっすぐにし、正しいことを行う力を与えてくれます。
主キリストに近づきなさい。主が土台石となり、神はその上に、神の家をお建てになるのです。人々は主を拒みましたが、神は主を最も重要な存在として選ばれたのです。
彼らのつまずきの原因は、神のことばに耳を傾けず、従おうとしないことですが、そうなるように定められてもいたのです。
なぜなら、聖書にある預言のことばは、預言者がかってに考え出したものではないからです。それは、これら神を敬う人の心に住まれる聖霊がお授けになった、混じりけのない神からのことばなのです。