あなたがたは、この世から解放された自由人です。しかし、それを好き勝手なことをするためにではなく、ただ神に従うことに用いなさい。
ああ、いまわしいパリサイ人、ユダヤ教の指導者たち。あなたがたは偽善者です。神の国に入ろうとしている人たちのじゃまをし、自分でも入ろうとはしないのです。
わたしが来なくて、何も話さなかったのであれば、彼らは罪を問われなかったでしょう。しかし今はもう、罪の言いわけは許されません。
今は、罪という古い主人から解放されて、義という新しい主人の奴隷になっているのです。
しかし今は、罪の力から解放されて、神に仕える者になりました。そして、神があなたがたに下さる恵みによってきよくされ、永遠のいのちが与えられているのです。
もし奴隷であって主に招かれたのなら、キリストは恐ろしい罪の力からあなたを解放して、自由の身にしてくださったことを忘れてはなりません。また、もしあなたが自由人であって主に招かれたのなら、今はキリストの奴隷であることを忘れてはなりません。
このように、キリストは私たちを自由の身にしてくださいました。ですから、この自由をしっかりと握っていなさい。もう二度と、律法にがんじがらめになった奴隷とならないよう、細心の注意をはらいなさい。
愛する皆さん。あなたがたは自由を手にしているのです。それは、悪を行うための自由ではなく、互いに愛し合い、仕え合うための自由です。
主人の目の前でだけ一生懸命に働き、陰では怠けるようではいけません。神が望まれることを、心を尽くして行い、キリストのために働くように、いつも熱心に喜んで働きなさい。
報酬を下さるのは主キリストであることを忘れてはなりません。キリストは、所有しておられるものの中から、有り余るほどの相続財産を与えてくださいます。あなたがたは、この主キリストに仕えているのです。
よくご存じのとおり、私たちはこれまで、何かをもらいたくて人にへつらったことなど一度もありません。それは神が証人になってくださいます。
しかし、〔完全な律法、自由の律法である〕神の教えを一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れたりしないばかりか、その命令を実行します。神は、そのような人の行いに大きな祝福を与えてくださいます。
あなたがたは、キリストの命令を守る者にふさわしく語り、行動しなさい。
彼らはこう言います。「善人になったからといって、救われるとは限らないなら、いっそのこと、悪いことをしたほうがましじゃないか。やりたいことをやるのが自由というものだ。」このように、彼らは「自由」を教えながら、自分自身が罪と滅びの奴隷になっているのです。何かに支配されている人は、その奴隷なのです。
こう言うのも、実は、神を恐れない者たちが、あなたがたの中に忍び込んで来たからです。彼らの主張はこうです。「クリスチャンとなったからには、もう神のさばきなど、くよくよ考える必要はない。何でも自由にやりたいことをやればいい。」彼らはずっと昔から、聖書に書かれているとおりの運命をたどる者たちで、私たちのただひとりの支配者であり主であるイエス・キリストを否定しているのです。