そういうわけですから、あなたがたはこれまで以上の恵みを期待して、イエス・キリストが再び来られる時を、真剣に、身を慎んで、ひたすら待ち望みなさい。
主から特別な力を与えられたエリヤは、驚いたことに、王の車を追い越して、町の入口まで走り通しました。
これを聞いたエリシャは、ゲハジに命じました。「大急ぎで、私の杖を持って行って、あの子の顔の上に置くのだ。途中、だれかに会ってもあいさつを交わしてはいけない。急ぎなさい。」
さあ、遠慮なく向かって来なさい。 これから幾つかの質問をするから、 答えてみなさい。
「さあ、男らしく立ち上がり、 戦いに備えて身を引き締めなさい。 そして、わたしの質問に答えるのだ。
長い旅に備えて旅仕度のまま食べなさい。くつをはき、杖を持ったまま急いで食べなさい。以後これは『主の過越』と呼ばれる。
公平と真実を身にまとっているからです。
さあ、身じたくを整えて出かけなさい。 わたしが伝えることをすべて語るのだ。 彼らを怖がるな。 恐れるなら、彼らの目の前でおまえを もの笑いの種にする。
それで、その人たちにも、夕方には適当な賃金を払うという約束で、果樹園へ行かせました。
きちんと身じたくを整え、あかりをともしていなさい。
わたしが再び来る時も同じです。その瞬間まで、すべてがいつものとおりなのです。
そして、神がお造りになったすべてのものが、神の子どもたちの復活を忍耐と希望をもって待ち望んでいます。
今、あなたがたは、あらゆる恵みと祝福とを手にしたのです。主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいるこの時、主のお心にかなったことをするのに必要な、あらゆる霊の賜物と力とが、あなたがたには備わっています。
いつまでも残るものが三つあります。信仰と希望と愛です。その中で最もすぐれているものは愛です。
しかし、そのためには、腰に真理の帯をしめ、神の承認という胸当てをつけなければなりません。
真のいのちであるキリストが再び戻って来られる時、あなたがたも彼と共に輝き、そのすべての栄光にあずかるのです。
そういうわけで、苦難のただ中にある、あなたがたに言っておきます。主イエス・キリストが力ある天使たちを従えて、燃え立つ炎の中に天から姿を現される時、神はあなたがたにも私たちにも、休息を与えてくださるのです。
ですから、危機感をもって目を覚まし、警戒していなさい。主のために受ける苦しみを、恐れてはいけません。なすべきことを十分になして、他の人たちをキリストへ導きなさい。
天では栄冠が待っています。正しい裁判官である主が再び来られる日にいただく冠です。もちろん私だけにではなく、主を熱心に待ち望む人々全員に授けられるのです。
このようなすばらしい祝福が待っているのですから、どんなことがあっても、主を信じ続けなさい。やがて主から受ける報いを思いなさい。
しかし、キリストは神の忠実な御子として、神の家のいっさいを治められるのです。もし、最後まで揺るがない確信を持ち続け、喜びと主への信頼を失わなければ、私たちも神の家となるのです。そして、神がそこに住んでくださるのです。
自分は必ず救われるという確かな望みは、私たちのたましいにとって、信頼できる不動の錨です。この望みこそ、神聖な幕の内側(天にある神の住まい)におられる神と私たちを結び合わせるものです。
キリストも、多くの人の罪のためにご自身をささげて、一度だけ死なれました。そして、もう一度おいでになりますが、今度は罪を取り除くためではありません。その時は、彼を待ち望んでいるすべての人の救いを完成させるために来られるのです。
この救いについては、昔の預言者も完全に知っていたわけではありません。救いの預言はしましたが、それが実際には何を意味しているのか、自分でもよくわからなかったのです。
心を動揺させないで、ただ主キリストを信じなさい。もしだれかに、「なぜキリストを信じるのか」と尋ねられたら、いつでもその理由を話せるようにしておきなさい。ただし、おだやかに、真摯な態度で説明すべきです。
世の終わりが近づいています。ですから、分別を持ち、身を慎んで祈りなさい。
この手紙を筆記してくれたのは、忠実な信仰の友シルワノです。私は、この手紙があなたがたを力づけるよう期待しています。なぜならここに、どうすれば神の恵みをいただけるかを記したからです。この手紙が、あなたがたを神の愛のうちにしっかりと立たせるのに役立つと信じます。
最大の敵である悪魔の攻撃に備えて、警戒しなさい。悪魔は、飢えてほえたけるライオンのように、引き裂くべき獲物を求めてうろつき回っているのです。
このことをほんとうに信じる人はみな、自分の身を、いつもきよく保とうと心がけます。キリストはきよいお方だからです。