もし、ユダヤ人の祭司と律法に私たちを救う力があるとしたら、なぜ神は、あえてアロンの位に等しい祭司〔ユダヤ人の祭司はすべてアロンの位を受け継いでいる〕ではなく、メルキゼデクの位に等しい祭司であるキリストをお立てになったのでしょうか。
私は、キリストの死を無にはしません。もし私たちが、律法を守ることによって救われるなら、キリストが死ぬ必要などなかったはずですから。
キリストが来られるまでは、私たちもそれとよく似た立場にありました。ユダヤ教の戒律や規則によって救われると考えて、その奴隷となっていたのです。
ところが今は、神を知っているのに〔というより、むしろ神に知られているのに〕、どうして、もとの状態に逆戻りしたがるのですか。あの貧弱で、無力で、役立たずの教えの奴隷に逆戻りしようとするのですか。
神がキリストを、メルキゼデクと同じ位に立つ大祭司としてお選びになったことを思い起こしてください。
またさらに、「あなたは、メルキゼデク(アブラハムの時代、サレムの王であり祭司であった人物。永遠の大祭司の型)と同じ位にある、永遠の祭司に選ばれた」(詩篇110・4)と告げました。
キリストは、私たちに先立ってそこに入られました。そこで、メルキゼデクの位を持つ大祭司として、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
なぜなら、レビはまだ生まれてはいませんでしたが、メルキゼデクに十分の一をささげた、アブラハムの直系の子孫だからです。
新しい家系の祭司が立てられる時、それを受け入れるために、律法も改められなければなりません。キリストがレビ族とは別の部族であり、モーセが祭司として任命したこともないユダ族の出身であったことは、周知の事実です。
そういうわけで、私たちは、これまでの神の秩序に大きな変更があったことを認めざるをえません。キリストが、メルキゼデクの位に等しい、新しい大祭司として立てられたからです。
かつて祭司たちを立てるのに、神が誓われたことはありません。しかしキリストに対してだけは、「主は、立てた誓いを変えることは決してない。あなたは、永遠にメルキゼデクの位に等しい祭司である」と誓われたのです。
古い契約はもはや無効になりました。もし効力があれば、別の新しい契約を立てる必要はなかったでしょう。
さて、これらが全部ととのえられた上で、祭司は第一の部屋に出入りして、務めを果たしました。