キリストはこの地上におられた時、死から救うことのできるただひとりの方に、うめきと涙とをもって祈られました。この祈りは、どんな場合にも神に従おうとする、キリストの謙遜で切なる願いのゆえに聞き入れられたのです。
主は、私の絶望の底からの叫びをさげすまれなかった。 背を向けて立ち去ることはなさらなかった。 叫び声が届くと、主は助けに来てくださった。」
ああ神よ、私をお救いください。 洪水で水が氾濫し、私は泥の中に じわじわと沈み込んでいきます。
ああ、私を救ってくださる神よ。 私は昼も夜も、あなたの前で嘆いています。
主はまた語ります。 「あなたは、ちょうどよい時に願った。 わたしはまだ危害が及ばないうちからあなたを守り、 イスラエルへの約束のしるしを与える。 わたしが国を再建し、 そこに人を住まわせるという証拠だ。 わたしはあなたの口を通して、 暗闇の中に閉じ込められた囚人に、『さあ、出て来い。 おまえたちはもう自由だ』と語りかける。 彼らはわたしの羊となり、 緑の牧草地と青々とした丘で草を食べる。
彼は、自分のたましいが苦しみもだえた末、 神のみわざが実現するのを見て、満足します。 「わたしの正しいしもべは、 このような苦しみを経験して、 多くの人を神の前に義とする。 彼が人々の罪をすべてになうからだ。
私たちは彼をさげすみ、受け入れませんでした。 彼は悲しみの人で、 苦しみをなめ尽くした人でした。 私たちは彼に背を向け、 そばを通っても顔をそらしました。 彼が侮られても、そ知らぬふりをしていました。
そのうちの一つかみを、祭司のところへ持って行き、焼いてもらう。わたしはその香りを喜ぶ。
三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。それは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。
その時、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取りました。
三時ごろイエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。それは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。
イエスはもう一度大声で叫ぶと、息を引き取られました。
その時イエスは、大声で、「父よ。わたしの霊を御手におゆだねします!」と叫んで、息を引き取られました。
キリストは人間となり、この地上で私たちと共に生活なさいました。彼は恵みと真実のお方でした。私たちは、この方の栄光を目のあたりにしました。それは天の父である神の、ひとり子としての栄光でした。
イエスの目に涙があふれました。
あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることはわかっています。ただ、あなたがわたしをお遣わしになったことを、ここに立っているみんなが信じるように、こう申し上げたのです」と祈られました。
ひとしきり語り終えられると、イエスは天を見上げて言われました。「父よ。いよいよ時が来ました。わたしがあなたに栄光をお返しできるように、わたしの栄光を現してください。
律法を知っているだけでは、罪の支配からは救い出されません。私たちはそれを守ることもできないし、実際守ってもいないからです。ところが、神は私たちを救うために、別の計画を実行に移されました。すなわち、神のひとり子を、私たちと同じ体を持つ者として〔ただ、私たちのような罪の性質を持たない点では異なりますが〕世にお遣わしになったのです。そして彼を、私たちの罪のためのいけにえとして、私たちをがんじがらめにする罪の支配を打ち破られたのです。
しかし、定めの時が来ると、神様は自分のひとり子を、一人の女から生まれさせ、ユダヤ人として律法の下にお遣わしになりました。
敬虔を保つことは、決してなまやさしいものではありませんが、その秘訣はキリストのうちにあるのです。 「キリストは人として地上に来られ、 その霊は汚れなく、 きよらかであることが証明され、 天使たちに仕えられ、 諸国民の間に宣べ伝えられ、 至る所で信じられ、 再び栄光のうちに天に引き上げられたのです。」
この新しい計画にそって、キリストはただ一度死なれ、それによって私たちは罪を赦され、きよくされているのです。
そのためキリストは、この世に来られて、こう言われるのです。「神よ。雄牛ややぎの血は、あなたの心にかないません。それで、わたしに肉の体を与え、祭壇の上のいけにえとなさいました。
ノアも、神を信じた人です。神から警告を受けた時、洪水のきざしなど何一つなかったにもかかわらず、彼はそのことばを信じました。そして、すぐに箱舟の建造に取りかかり、家族を洪水から救いました。神を信じたノアの態度は、当時の人たちの罪や不信仰と比べて、ひときわ輝いています。この信仰のゆえに、ノアは神に受け入れられたのです。
私たちは何ものにも滅ぼされない御国を与えられているのですから、感謝の思いときよい恐れとをいだいて仕え、神に喜んでいただこうではありませんか。
偉大な羊飼いである主イエスを死者の中から復活させてくださった平和の神が、どうか、あなたがたに、神の御心にかなった行いをするのに必要なすべてのものを満たしてくださいますように。神とあなたがたとの間に立てられた永遠の契約の血によって、それが可能となりますように。どうか、キリストに栄光がいつまでもありますように。アーメン。
神の子どもである私たちは、血も肉もある人間です。そこでイエスも、血肉を持った人間の姿でお生まれになりました。それは人間として死ぬことにより、死の権力をふるう悪魔の力を打ち砕くためです。
しかし、そうでなければ神から出たものではなく、明らかに反キリストであり、キリストに敵対する者から出ているのです。この反キリストが出現することは、以前から聞かされていたはずです。彼らは今、至る所で、キリストへの敵意をむき出しにしています。
偽教師があちこちに出現していますから、くれぐれも注意してください。彼らは、イエス・キリストが私たちと同じ肉体を持った人間として世に来られたことを信じないのです。彼らは真理にそむく者であり、キリストに敵対する者です。