このことについて、まだまだ話し足りませんが、聞く意思がないあなたがたに理解してもらうのは困難です。
シェバの女王は、ソロモン王が主にすばらしい知恵を授かった人物との名声を聞き、難問をもって彼を試そうと思いました。
彼らの理解力をにぶらせ、耳を閉じ、 目を見えないようにしなさい。 彼らには、見たり聞いたり悟ったり、 また病気を治してもらったりするために、 わたしのもとに戻ってほしくないのだ。」
その心は肥えて鈍くなり、 その耳は遠く、その目は閉じられている。 彼らは見もせず、聞きもせず、理解もせず、 神に立ち返って、わたしにいやされることがない。』(イザヤ6・9―10)
「それなのに、まだあなたがたは、パンがないのをわたしが苦にしていると思うのですか。」
「ああ、どうしてそんなに、心が鈍いのですか。預言者たちが聖書に書いていることを信じられないのですか。
ああ、話しておきたいことはまだまだたくさんあります。それなのに、今のあなたがたには理解できないことばかりです。
もっとも、これはピリポを試しただけで、どうするかはもう決めておられたのです。
心は肥えて鈍くなり、 耳も遠く、目も閉じられている。 見もせず、聞きもせず、理解もしない。 わたしに立ち返って、いやされようともしない。」』(イザヤ6・9-10)
神がキリストを、メルキゼデクと同じ位に立つ大祭司としてお選びになったことを思い起こしてください。
あなたがたは、もう長い間、クリスチャンとして生きてきました。ほかの人を教えても当然なのに、もう一度、神のことばのイロハから手ほどきしてもらわなければならないほどになっています。固形物を食べるまでには成長せずに、いつもミルクばかり飲んでいる赤ん坊のようです。クリスチャン生活のごく初歩の段階を行ったり来たりして、善悪の区別さえおぼつかない状態なのです。