また、「兄弟たちと共に、神を信じよう」とも、「さあ、わたしはここにいる。神が与えてくださった子どもたちといっしょに」(イザヤ8・17-18)とも述べています。
エサウは女と子どもたちを見て尋ねました。「あの連れの者たちは?」 「私の子どもです。」
「そうです。神様がエジプトで私に恵んでくださった息子たちです。」 「そうか、そうか。ちょうどよかった。私のそばに連れて来なさい。祝福しよう。」
私はそのうちに隠れよう。 神こそ私の岩、隠れ家、私の盾、救い、 逃れ場となるやぐら。 すべての敵から救い出してくださった方に感謝しよう。
子どもたちは主からの贈り物であり、報いです。
ああ神よ、どうかお救いください。 私は隠れ場を求めてまいりました。
主は、安心して身を寄せることのできるとりでです。 誰ひとり、このとりでに入って来て、 私を殺すことはできません。 主は、身を隠すことができる険しい山であり、 私の救い主です。 だれも近づくことのできない岩、安全を守る塔、 また私の盾です。
私は宣言します。 「神こそ私の避難所、また安全地帯です。 この神への信頼を失うことはありません。」
そればかりか、神は私を救うために来てくださった。 私は主に信頼し、少しも怖くない。 主は私の力、歌、そして救い。
彼を傷つけ、悲しみで満たすのは、 主の計画だったのです。 罪の赦しのためのささげ物として、 そのたましいをささげるとき、 彼は多くの子孫を見ることができます。 彼は復活し、 神の計画は彼の手によって成し遂げられます。
おまえは神に頼っているのだろう。神のお気に入りなら、せいぜい助けていただくがいい。自分を神の子だと言っていたのだから。」
父がわたしに下さった群れなのですから。父はだれよりも力があります。わたしの羊をさらうことなど、だれにもできません。
たとえ、キリストについて教えてくれる人が一万人いたとしても、あなたがたの父はこの私だけであることを忘れないでください。福音を伝えてキリストの救いに導いたのは、この私一人なのですから。