罰を受けた当初はだれも気持ちがよいはずはなく、むしろ傷つけられたと感じるものです。しかしあとになれば、それが自分の益となり、すべての面で良かったことがわかります。
アブラハムは困り果てました。イシュマエルも自分の子どもなのです。
主は私を懲らしめましたが、 死には渡されませんでした。
この教えを愛する人は、平安な心を与えられ、 過ちを犯すこともありません。
まだ望みのあるうちに子どもを懲らしめなさい。 放っておいて、その一生を台なしにしてはいけません。
主はエジプトを打ちのめしたあとで、もう一度建て直すのです。エジプト人が素直に主を信じるので、願いを聞き入れ、すべてを元どおりにします。
正義が平和をつくり、 平穏と信頼がいつまでも続きます。
私たちクリスチャンにとって大切なのは、何を食べるか、何を飲むかではなく、義と平安と聖霊から来る喜びとに満ちあふれているかどうかだからです。
今の私たちの苦しみや悩みは、結局のところ、取るに足りないものであり、それほど長くは続きません。そして、このつかの間の苦しみは、永遠に尽きない、あふれるばかりの神の祝福をもたらすのです。
天では栄冠が待っています。正しい裁判官である主が再び来られる日にいただく冠です。もちろん私だけにではなく、主を熱心に待ち望む人々全員に授けられるのです。
肉親の父親は、ほんの短い間だけ、それも、限られた知識に基づいて私たちを訓練します。ところが神は、私たちの最善を願って、神のきよさを共有させようと訓練をしてくださるのです。
あなたがたがもっと成長し、正しい行いが伴って、善悪の区別がつくようになるまでは、堅い霊の食べ物をとることも、神のことばの深い意味を悟ることもむりでしょう。
ですから、心から喜びなさい。今しばらくの間、地上での苦しい試練が続きますが、行く手にはすばらしい喜びが待っているからです。
彼らのみだらな行為は底なしで、その罪に濁った視線で、うわついた女性を誘惑しています。その貪欲の果てにわが身を滅ぼしてしまう、まさにのろわれた者たちです。